エピソード100 みずいろのポエム
♪こんにちは~♪こんにちは~
世間が大阪世界万国博覧会開催に浮かれる西暦1970年、
金森幸介はレコード歌手としての第一歩を踏み出した。
MBSラジオ「ヤングタウン今月の歌」として北島サブちゃんを擁するクラウンレコードより
華々しくデビューを果たしたのである。
西暦2010年である今年は「金森幸介 輝くデビュー40周年」なのである。
デビュー曲は”ちいさなオルフェ”の”みずいろのポエム”であった。
今となっては”みずいろのオルフェ”の”ちいさなポエム”でも
”ちいさなみずいろ”の”オルフェなポエム”でも良かった気もするが、
作詞・作曲・演奏・歌唱を担当していたにも拘わらず、
金森幸介はバンド名、否、曲名にさえ決定権を持たなかったのである。
19歳の金森幸介には、将来への展望などほとんど何も見えていなかった。
自分には文才、特に作詞の才能はないと思っていた。今も少しは思っている。
歌唱にもあまり興味がなかった。
天より授かったシルキーボイスさえ、彼自身には疎ましく思われることもあった。
ただ、作曲という作業は楽しく思えたし、自分に向いている気もした。
でもホワイト・ジーンズにネルシャツのはなたれナインティーン・ボーイには
自分の進むべき道がはたして、バート・バカラック方面なのかニール・ヤング方面なのか
手探りさえ出来なかったのである。
”ちいさなオルフェ”解消後、金森幸介は一度とて”みずいろのポエム”を演奏していない。
三十数年間、封印され続けているのである。法隆寺夢殿の秘仏、救世観音の如くである。
デビュー曲一曲を何十年間も、切り札楽曲として大切に歌い続けていらっしゃるシンガーも多い。
「飛んで飛んで」の円広志さんなどがそうだが、世間では”一発屋”と言われているようである。
揶揄として使われている”一発屋”だが、「”ゼロ発屋”の立場はどうなんねん!」とは
現在の金森幸介の偽らざる気持ちである。
”みずいろのポエム”封印の理由はいたってシンプルである。
それは基本構造がデュエット曲だということである。
”ちいさなオルフェ”解消後、バンドもしくはソロで活動してきた金森幸介に
デュエット曲を披露する機会は失われていたのである。
デュエット曲をソロで歌うことは、漫才のネタをピンで演るような愚行といえるし、
バンドで歌うことはWヤングのネタをチャンバラトリオが演るくらい不自然なのだ。
とはいっても正直な話、封印の理由はそれだけではない。
純粋に「恥ずかしい」のである。
「みずいろの」が恥ずかしい。「ポエム」が恥ずかしい。
当時、便乗して東大阪にラブホテル「みずいろのポエム」が開店したのが恥ずかしい。
心づけとして金森幸介に「ご休憩タイム年間フリーパス」が謹呈されたのが恥ずかしい。
「ご休憩」といいながら、休憩とは真逆の運動行為に及ぶのが恥ずかしい。
アップテンポの三拍子が恥ずかしい。
実は男女デュエット曲なのに、むくつけき男二人が歌うのが恥ずかしい。
そうなのである。本来はトワ・エ・モアとかヒデとロザンナとかダ・カーポとかが
目と目を交して歌いあうべき甘いナンバーなのである。
Kとブルンネンでもヒロシ&キーボーでもOKである。
しかし、私は「みずいろのポエム」は立派な名曲だと思っている。
「カレッジ・フォーク」とかいうヘンテコなカテゴリーで紹介されると確かに恥ずかしい。
でも、ポップ・ミュージックとして見ると非常によく出来た曲だと言える。
19才といえば私の長男の年齢であり、愚息のあまりな子どもっぽさを考え合わせると
この曲をモノにした金森幸介少年は早過ぎた天才だったと言っても過言ではない。
世の早出の天才たちが往々にして経済的には成功していないように、早過ぎた反動で
はたち過ぎたら「士農工商」の更に下のランクに追いやられたことは返す返すも残念である。
しかし海外の男女デュオに歌わせればこの曲の真価がきっと浮かび上がるはずである。
デラニー&ボニーではちょっとソウルフル過ぎるだろうか。
イアンとシルビアではちょっとフォーキー過ぎるし、なかなか難しい。
ジョンとヨーコは論外。アイク&ティナに「♪なぜ~ 涙が出るの~」はキツい。
ヘドバとダビデにお願いしたら村上春樹さんに叱られるかも知れないし...
ダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイが適役のような気がする。
デヴィッド・サンボーンさんにオブリも入れてもらって。
しかし皆さん、我らが金森幸介上人が鍛えし夢殿秘仏救世観音こと「みずいろのポエム」が
三十数年の沈黙の闇の中から遂に御開陳される日がやってきたのであります。
「みずいろのポエム生誕40周年」でもある2010年。
記念すべき日は来る5月28日(金) 場所は神戸JAMES BLUES LANDであります。
秘仏の禁を解く労を担った平成のフェノロサと岡倉天心は...
フェノロサは誰あろう、驚くなかれ!
なんと金森幸介の育て親であり、名曲「みずいろのポエム」の生みの親、
元MBSヤングタウン・プロデューサー、名伯楽・渡邊一雄氏その人である。
そして渡邊氏の命に従い秘仏のベールを解く役割を担う岡倉天心は...
これまた驚くなかれ。嘉門達夫氏である。
そこの人、ボーッとしてないでついて来なさいよ。何度も言いませんよ。小学校やないねんから。
そう、あの嘉門達夫氏です。ああ見えても紅白歌手であらせられますのですよ。
実は以前より嘉門氏と金森幸介は分厚い親交で結ばれた間柄なのである。
単なるコミック・シンガーと思われがちだが、
その実、氏はかなり骨太のシンガーだと私は思っている。
なんせエロトーク界の帝王・鶴光さんに破門されちゃった男である。
渡邊氏が金森幸介と嘉門氏のデュエットでの「みずいろのポエム」をリクエストされたのである。
なんといってもナベさんのご意向ということは金森幸介にとって大本営発令と同義である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、乙女の如く恥ずかしきをねじ伏せ、
金森幸介は三十数年に亘り自らに課した封印を解く決心をしたのである。
なんて言いながら、けっこう本人も楽しんでいると私は睨んでいるのだが。
嘉門氏の名曲も二人のデュエットで聴かせてくれるらしい。
さて、金森幸介が選ぶのはどの曲でしょう。
それでは5月28日、港町神戸JAMES BLUES LANDでお会いしましょう。
今年3月1日神戸JAMES BLUES LANDで行われる予定だった“50周年記念日”ライブが新型コロナウィルス感染予防のため中止になり、その代わりに慎ましく“残念会”を 開催。その時のリハーサルで歌われた「みずいろのポエム」。本番では歌われておりません。