エピソード101 さくら

きれいに花が咲きました 空が明るくなりました
上着を一枚ぬぎました 君に逢いたくなりました

古いアルバムに一枚の写真を見つけた。1979年、日付は四月の中ごろだろうか。
被写体は24歳の僕と父と母、そして遠景に桜満開の山々である。
花ゴザの上には重箱のお弁当。三人はビミョーな笑顔でセルフタイマーのカメラに向かっている。
僕自身ももちろん若く、痩せてホネホネでレイヤード・カットが情けない。まだ60前の母親もさすがに若い。
父親は多分65歳くらいだと思うが、レイ・チャールズのような濃い色目のサングラスをかけている。
別に父親は不良ではないし、浜田省吾ファンでもない。その頃、既に父親は失明していたのだ。
この日の状況を克明に思い出した。

当時、兄と姉はもう結婚して家を出ており、実家では僕と両親の三人が暮らしていたのだ。
ある春の日僕は、仕事と父親の世話に忙殺されていた母親を花見に連れて行こうと思い立った。
父親を連れていくかどうかは迷った。なんせ”花見”である。花を”見る”のである...
しかし母親に迷いはなかった。最初から父親同行を念頭に置いているように準備している。

当日、母親は早朝からせっせと行楽弁当を作った。小さな頃から遠足、運動会、
町内会のピクニックと慣れ親しんだお弁当である。
行き先は関西屈指の桜の名所、奈良県吉野山。歌舞伎の「義経千本桜」でも有名だ。
僕は車に両親を乗せ、お弁当と花ゴザを積み込んで出発した。
奈良県の山とはいえ、僕の住む南大阪から吉野山へはさほど遠隔というほどではない。
五條市から吉野川沿いに東へ、比較的スムーズに吉野神宮に到着した。
しかし日曜日の桜満開時期ということで駐車場はゴッタがえしている。
僕は荷物を入れたデイバッグを背負い、母親は父親の手をひいて中千本への参道を登った。
思えばあの頃、母親はやはりまだ元気だった。だって道中、母親を気遣った記憶がないのだから。
途中、赤毛氈敷きの桟敷席を用意した茶屋で客引きされたが、行ける所まで行こうと思った。
目の見えない父親をとにかく出来るだけ桜の木に近い場所に連れていきたかった。

中千本の中腹あたり、まだ八部咲きの奥千本が見渡せる斜面にゴザを敷いた。
穏やかな春の日だった。時折柔らかい風が我々の傍らを通り過ぎた。
僕は複雑な心境だった。確かに眼前に広がる桜満開の山々は美しい。
薄いピンク、それより少し濃いピンク、ヴァイオレット、そしてほとんど白の花...
それらが微妙に重なり合って絶妙な景色を構成しているのだ。
圧倒的な美しさの前に、でも僕は絶句した。父親にはこの景色はなにも見えないのだ。

しかし、母親は何事もないかのようにはしゃいでいる。「きれいやね~!」
僕は母親のデリカシーの無さに驚いた。傍らの父親に対する思いやりがないのか!と...
そんな僕の怪訝な表情に臆する様子もなく、母親は父親に景色の説明を始めた。
「真ん中の辺りのはソメイヨシノかねえ、向こうの山は反対の風が吹いてるみたいやねえ」と。
なんと父親はそんな母親の脳天気な説明を眩しそうに頷きながら聴いているのだ。
そして息を大きく吸い込み、「風が桜の、いや春の匂いだ...」と呟いた。
日本占領時代の朝鮮半島で生まれ、敗戦とともに引き揚げてきた父親は
大阪で何十年暮らそうと関東イントネーションが抜けなかった。
少女のように嬉々として桜景色を説明する母親の手をとり、
「きれいだな」と呟いた。
その時僕には母親のオカメづらを指して言っているように聞こえて笑いを堪えた。
でもそれはまんざら的外れでもなかったのかも知れない。

森の小径を歩きましょう 少し遠くまでゆきましょう
誘われるままそよ風に 心しばしあずけましょう

父親の網膜に像を結ぶ能力はもうない。でもたかがそれだけの話なのだ。
僕もそっと目を閉じて深呼吸してみた。
風の匂いと空気の流れ、そして生命の息吹...そして父と母の人生を感じる。
これが”風景”というものかも知れない。
これが”夫婦”、いや、男と女が”寄り添う”ということなのかも知れない。

その時のお弁当が両親と一緒にアウトドアで食べた最後の食事になった。
それから十年あまりして父親は静かに鬼籍に入り、母もすっかり老いを感じさせるようになった。
僕もあれからあの場所に行くことはなかった。でも、もう行く必要などない。
四半世紀余を経た今も、静かに目を閉じると、
鮮やかにあの時の花の色と風の匂い、両親の佇まい、そしてお弁当の味を思い出せるのだから。

丘にのぼって話しましょう 青空みそらのその下で
君の好きな絵のことやなんかを 咲く花びらを数えながら
さくら さくら 春がいっぱい さくら さくら