エピソード102 ありったけの愛を

「1985年のLOVE&PEACE 金森幸介&The Mellow」というCD-Rを聴いている。
25年、きっちり四半世紀前に大阪Banana Hallでライブ録音された音源である。
とにかくこの当時、金森幸介はあきれるほど曲をかいた。
後に金森本人も「あの頃はただただしゃにむに曲作りに没頭した時期だった」と語っている。
傍で見ていても何かに憑かれているように、リハーサル毎に新しい曲を持ってきた。
その当時の世間の状況を考えると、実際なにかに憑かれていたのだろうと思う。
以前にも書いたけれど、世間は皆バブル経済に向かって浮かれ浮かれの一直線で、
誰もまともに音楽など聴いてはいなかったのである。


ハンパな気分でやさしくしないでくれ
ウソかホントか それが問題なんだ
ありったけの愛を俺にくれないか
心が寒いビルの谷間で 叫べばこだまがかえってくる
ありったけの愛を俺にくれないか Hey My Friend


四半世紀前のCDの中で金森幸介の歌声はどこか苛立っているように聴こえる。
The Mellowの演奏もコーラスもP.A.も皆、見えないなにかに対して怒っているような気もする。
演奏はミストーン、ミスタッチなどありありのワイルドさだが、呆れるほどに力強い。
K君とM君によるツイン・ドラムは先ツキと後ノリのバランスで程よいグルーヴである。
ステージでその間に陣取って演奏していたベース担当のI氏は後に
「まるでジェットマシーン(位相反転エフェクト)の中にいるようだった。
いつもエリック・バードンとアニマルズの”スカイ・パイロット”を演奏してる気分だった」
と語っている。
今はもういないY君の声も聴こえる。皆がこの世界に愛を求めている。All You Need Is Love


イカサマ野郎が俺に忠告する
勝つか負けるか それがこの世でいちばん肝心なんだ
ありったけの愛を俺にくれないか
心が寒いビルの谷間で 叫べばこだまがかえってくる
ありったけの愛を俺にくれないか


バブル経済、また後にも懲りずにITバブルなどと浮かれ、誰も勝負など挑んでいないのに
自ら勝手に勝ち名乗りをあげ、参加表明もしていない誠実な人々を負け組と嘲った
今日に綿々と続くこの国の断層をまさに予言していたと言えるのではなかろうか。
まあ、そないに大層な話でもないですが。

たとえ泡沫(うたかた)だとしても、まだ好景気に浮かれていた頃には
とりあえずモノによって人心は充たされていた。
しかし不景気に転ずるや、モノが欠けスッポリと穴が開いてしまった。
そこをモノに代って埋める価値観を探した。ココロである。
ここで何故か人はココロを求めてカルト教団や自己啓発セミナーに救いを求めた。
しかし景気は更に悪化。それらに上納する金さえなくなった。
もっと金のかからぬココロを求めるようになった。愛である。
でも私にはこの”愛”の求め方が、とてつもなく捻じ曲がっているような気がする。
 
子を持つ女性が夫、または交際男性に自分が嫌われることを恐れて
彼らが我が子に虐待を加えるのを傍観したり、自らもそれに加担したりという話を
最近、ほんとうに頻繁に耳にする。
そんな愛の求め方はやっぱり絶対に間違っている。男も女も。

宮部みゆきの小説「ステップファザー・ステップ」の中でみつけたアフォリズムに
「人生なんてものは、ドラマチックな恋愛や激情でできているものではないのだ。
それは、期限の切れていない健康保険証や、住宅ローンの支払いが、
今月もまた無事に銀行口座から落ちたことを知らせる通知や、
そんな細々としたものから成り立っているのである。」
というのがある。
まさにその通りである。
人々はそれでもそんな自分の周りの細々とした日常がちゃんと機能していることに安堵し、
それを支えてくれる誰かにありったけの愛をおくるのだ。
「生まれ変わっても今の伴侶と人生を共にしたいか?」という問いに
「もちろん」と即答した友人がいる。
「ヒュ~ヒュ~!お熱いですなあ!」と冷やかすと、
「生まれ変わってもまた、今の息子たちの父親になりたいから」と言う。
傍らで奥さんは少しホッペタを膨らます振りをしたけれど、暖かい眼差しを向けていた。


きれいな心に出逢うと泣けてくるよ
きっと愛だけが 俺をみんなを救えるんだ

ありったけの愛を俺にくれないか
心が寒いビルの谷間で 叫べばこだまがかえってくる
ありったけの愛を俺にくれないか
ありったけの愛を俺にくれないか
ありったけの愛を俺にくれないか Hey My Friend
ありったけの愛を俺にくれないか Hey My Friend