エピソード104 forbidden fruit
長年慣れ親しんだ金森幸介official webのURLが"Forbidden"扱いとなって久しい。
それでも日々は何事もないように過ぎてゆく。
いつのまにか仕事場へ向かう道路沿いの街路樹も桜からハナミズキに主役がかわっていた。
爽やかな季節の到来にも私の心は切なくて虚しくてたまらない。
せっかくだから、というのもなんだけどHoyHoy発の新しいWebsiteが立ち上がるまで、
五月の薫風に吹かれながら、私はこの喪失感を噛みしめたいと思う。
人生という道すがら幾度となく出くわし、心中を支配されてしまう喪失感というこの感情。
でもこいつは意外に味わい深い哀切感なのかも知れないと近頃の私は思う。
ホームページが移行するくらいで、なにをそないに感傷的になっとんねんというお話ですが、
私や金森幸介の四捨五入還暦エイジはちょっぴりおセンチなお年頃なのかも知れません。
肉親や友人、恋人との別離や、事故や災害などで失ってしまったかけがえのないものたち。
もう二度と巡りあえないだろう愛するものたちを見送ったあと、残された者は
心にポッカリあいた空虚という穴ボコの大きさに戸惑うばかりだ。
それでも悲しみの向こう側、思い出という残像と共にいる懐かしい笑顔を心に浮かべると
胸の痛みはしばし癒される。失って初めてそのことの本当の意味を知らされたりもする。
打ちひしがれ、喪失感の真ん中でふるえながらもそれでも我々は未来に向いて進むしかない。
お気に入りで通っていた食べ物屋さんが知らないうちになくなっていたりすることがある。
こういう場合も"Forbidden"と表示されたような、けっこう切ない喪失感をおぼえるものである。
無理やり違うトーンの話をくっ付けようとしているのがミエミエの浜美枝ですが、
まあいいじゃないですか。ボンドガールなんだから。ボンドだけに、話をくっ付ける...
その昔阿倍野区のマンモス中学校に通っていた頃、部活帰りに一週間に一度は寄った
美章園商店街のイカ焼き屋さんがなくなったことを知った時も私はかなりな喪失感をおぼえた。
屋号を「河内屋」といった。
40年も前に最早かなり高齢のご夫婦が営まれていたので、廃業していたとしても
当然のことだろうけど、跡継ぎが誰もいなかったのが寂しい。
このイカ焼き屋さんについては故中島らも氏のエッセイにも登場するので
けっこう有名だったのかも知れない。ほんと、うまいイカ焼きだった。
関東でイカ焼きといえば、縁日のイカの姿焼きを思い浮かべる方が多いだろうが、
粉モノ天国関西のイカ焼きは、主役が小麦粉と玉子で、イカはまあ添え物といった感じで
水溶き粉と玉子とイカを混ぜて両面鉄板でプレスしてギューっと焼き上げ、
とんかつソースをかけて出来上がりという寸法である。
そのお店では、お品書きが狭い店の合板張りの壁にデカデカと貼られていたのだが、
「玉子ひとつ入り シングル」「玉子二個入り ダブル」
そこまではいいのだけれど「トリプル」となるはずの三個入りは何故か「サブル」となる。
「四個入り シブル」最高値が「五個入り ゴブル」なのである。
いかにおバカな中坊たちとはいえ、隣接する難関校天王寺高校に毎年何十人も合格する
名門中学校生である。さすがにヘンだなとは思っていたのだが、おばちゃんが怖かったので、
誰も「だから、その”ブル”ってどういう単位?」とはツッコめず、
「サブルちょーだい」「俺、シブル」などと常連ぶりつつ注文していたのである。
玉子五個入りゴブルは確か150円だったと思うが、当時の我々水泳部員たちの夢は
「大人になったらゴブルを思いっきり食べてやるもんね!」だった。
こういうのを”大人買い”ならぬ”大人食い”というのだろうか。
トホホというよりコレステロール値の方が気になる昨今である。
あんまりあの味が忘れられないものだから、後年道具屋筋でイカ焼き器を購入、
試行錯誤しながら作ってみたりしたのだが、未だあの味には到達していないのが切ない。
そういえば、店先に「名代 赤外線イカ焼き」というノレンが掲げられていたけれど、
ガスホースの刺さった二枚の分厚い鉄板でただプレスしていたように見えたのだが、
赤外線はどのように関与していたのだろう。
若い頃の私の行動範囲だった八尾、堺、帝塚山に「菊一堂」というレストランがあった。
本業はパン屋さんだったらしく、店頭でパンを販売しイート・インから発展したといった感じで
ゆったりとした客席が設えてあった。
金森幸介の住む町にも一軒あったようで、菊一話で我々はしばし盛り上がった。
菊一堂に対する二人の評価は一致する部分が多い。
○ファミリー・レストランのはしりのような店だったが、ファミレスより明らかにシックだった。
○料理のクオリティーはまあまあだが、パンはかなりおいしかった。
○彼女の誕生日祝いにご馳走するくらいの高級感はあった。(まあ若い頃だから)
○ウェイトレスのユニフォームがエンジ系主体の色合いだったが、けっこう可愛かった。
etc.etc.
金森幸介も私もかなり菊一堂に好感を抱いていたことが確認された。
この菊一堂チェーンもいつのまにか姿を消してしまった。きっともうどこにもないんだろうな。
私と金森幸介は仄暖かい喪失感に少しキュ~ンとなった。
デイリークイーンというハンバーガー・チェーンが存在したのをご存知だろうか。
十何年か前までは私が住む関西にも何軒か店舗を見かけたものだが、これもいつのまにか
その姿を消してしまった。
米国発祥のチェーンだったと思う。関西では主にイズミヤとかのスーパーマーケット内の
”おやつコーナー”的な一郭に出店していたので、買い物途中のおばちゃんや子ども達が
メイン・ターゲットだったのではないだろうか。
おばちゃんでも子どもでもなかった私がデイリークィーンにハマった理由を話せば長くなる。
長くなるが語り始めた手前、話さねばなるまい。
はっきりいって主力商品であるべきハンバーガーはたいした代物ではなかった。
デイリークイーンの出色商品は「キャラメルデップ・ソフトクリーム」であったのである。
少なくとも私にとっては。
サスペンダーをしたスレンダーな店員さんがソフトクリームベンダーから
グリングリンと二度盛りしてくれるクリームは鏡餅のようで、私は思わずプリテンダー。
一体俺は何言ってんだ~。
先っぽはキューピーさんの頭頂部のようにクリンと丸まっていてベリーキュートである。
そのまま下に向けてもクリームは落ちたりしない。ベリーハード、ベリーコンクである。
湯煎で溶かされたチョコレートやアーモンドキャラメルのソースに
チャポッと漬けると、瞬時にソースが固まってソフトクリームの周りにコーティングされる。
パリパリのコート越しのあのえも言えぬ食感をこの舌がネバー・フォーゲットなのである。
友人がD.Q.ソフトクリームの画像を送ってくれた。しかし情報はなにも伝わってこない。
ああ、このプリティーなお姿よ!ああ~!食いたいやおまへんか~。
しかしあのフィフティーズ・センスたっぷりのD.Q.の看板は今いずこ?
ホノルルのアラモアナ・ショッピング・センターで見かけたという情報を得たが、
ソフトひとつの為に太平洋を渡るのもなんぼなんでもである。
そう、海外にはまだきっと存在するのだろうが、日本からは完全撤退したのだろう。
確かに昨今わが国のハンバーガー業界のシェア争いは非常にし烈な状況である。
あの当時のD.Q.の規模ではマックやモスの敵ではさらさらないだろう。カスリもしないだろう。
ロッテリアあたりとは連合軍を組めそうな気もするが、
佐世保バーガーなどのゲリラ的ご当地バーガーも強敵であり、負け戦は目に見えている。
しかし今思うとデイリークイーン、実にヤンキーっぽかった印象がある。
ポップで、まるで玩具のままごとセットのショップのようだった。
ところで私が金森幸介の自宅の近くから電話を入れると「ヤンキー ゴーホーム!」と
いつもなじられるのはホワァ~イ?何故に?(by YAZAWA)
人生にはある時点で「禁断の果実」になってしまうものがある。
はからずも我々の手の届かない場所に離れていってしまうものがある。
失われたものが失われずにいてくれた、共に過ごせたすばらしい時間に感謝を捧げよう。
河内屋、菊一堂、デイリークイーン、そして幸介web...ありがとう。お疲れさま。
そう、きっと失われたものだけがうつくしいのだ。
幸せは歩いちゃこない。だから歩いていくんだよ!
だから、ネコとアヒルふぜいに力をあわせて幸せを招いてもらわんでもけっこうなのである。
お子ちゃまのクセにエコカー減税なんて所帯じみた心配するなっちゅの!子ども店長。
幸介webが”Forbidden”である現在、リンク元もなく知る人もない
ネット世界の超辺境地に位置するこのコーナーこそが失われたものなのかも知れない。
失われたものだけがうつくしいのなら、このコーナーってうつくしいのか?と問われれば、
誰も見る者が存在しないのでは美的評価も存在しないと答えるしかない。
それじゃあ、前人未到の地に咲く花は美しくないのか?という話になる。
たとえ見る者、愛でる者がいなくともナチュラルな美は美として確固存在する。
たとえ気づく者、責める者がいなくとも愚は愚として存在するのである。
誰にも愛でられず誰にも責められない環境にある失われたものが美と愚、
どちらに成ずるかは、そのもの固有のプライド次第である。
で、このままじゃあネバー・エンディング・ストーリーになっていくばかりであり、
そして私はネバー・スリーピング・ボーイになって...ここいらでおしまい!っと。ああしんど。