エピソード108 雨の朝 悲しくてやりきれない

寝室の窓を打つ梅雨の雨音に眼が醒めた。
枕元の時計は午前四時を告げている。
そっと階下に下りて玄関ドアを開け、このところほっぱらかしで熱帯雨林状態になった庭に出た。
まだ明け染めぬ空から篠つく雨が庭の木々を叩いている。
向家の庭から顔を覗かせた紫陽花がモノクロの世界に唯一淡い紫を震わせていた。
僕はタバコに火をつけて、この雨の朝を呆然と眺めた。

この世は無常である。あまりに無常である。
ただ静かに穏やかに日々を過ごそうと願う人々にも容赦なく前触れもなく試練は訪れる。
無力な僕らにはまるで抗う術など無い。ただすがる様に無性に音楽が聴きたいと思う。
重装雨具の新聞配達員が満杯の朝刊を載せたバイクで水飛沫を上げていく。お気をつけて。
音楽は聴きたいが、こんな悲しい雨の朝に達者な奴の歌は聴きたくない。
ソウルフルな政党イメージ・ソングも聴きたくない。
歌のうまい奴の歌は聴きたくないからって、オマリーの六甲おろしでナゴむ余力もやっぱりない。

僕はこんな朝にはオダギリジョーの”悲しくてやりきれない”が聴きたくなる。
アクターが本業であるオダギリ君であるからして当然うまくない。音程もおぼつかない。
でも切ない。ほどよく切ない。あのバタ臭い端正な顔立ちでなんでこんな日本的な切ない歌声。
ジョーよ・・泪橋を一緒に渡ろうやって感じ。お前は丹下のおっさんか。
きっとうまく歌おうともしてない。オダギリ君。朴訥な歌声である。

サトウハチローさんによる詞はもちろん感極まるものだけど、
幾多存在する”悲しくてやりきれない・カバーバージョン”の中の白眉であると僕は思う。
オリジナルをも凌駕してるとも僕は思う。
フォークル版でも、のりちゃんの歌声だけを聴きとって僕はグッときてしまう。
三人とも歌はうまくないけれど、はしださんのうまくない感がいちばん好きだ。
金森幸介もカバーしているけど、全然グッときまへん。だって音程合うてるもん。
端正な顔立ちしてないもん。奥さんの看病してないもん。

某邦画のサウンドトラック盤に収録されているオダギリ・バージョンですが、
惜しむらくはツーハーフで切られてること。映画の挿入サイズの問題でしょうが、
「深い森のみどりにだかれ」含のオダギリ完全版が聴きたいと願う梅雨の早朝であります。