エピソード109 我らは皆借り暮らし

人は皆、裸一貫でこの世に生を受けます。
人生の途中で様々なものを見つけ手に入れ、その都度携えていきます。
それは「財産」といわれるものであったり、あるいは「重荷」であったりもします。
家に住み、家具を備え、自動車を所有し、自分の「暮らし」を構築します。
いわゆる「資産」や「蓄え」を増やし続けることが豊かな暮らしへの途だと思われています。
でも、我々の暮らしは実はみな「借り暮らし」なのであります。
「いや、私の住処は土地も家屋も私の名義で、借家ではありません。まだローンが二十年
残ってますけど」とおっしゃる方もおられるだろう。
でも、なんと言われようとこの世に生きる生物の生涯はすべて「借り暮らし」なのであります。

我々人間が「私財」だと思っているものはみな、地球から借りた、もしくは預かったもの
なのであります。
土地も住居も家具もテレビも冷蔵庫も洗濯機も炊飯器も楽器も
あまつさえ自分の身体だって自分の所有物ではなく、地球からの借り物なのであります。
だから、この世を去るときには、きちんと返却しなければなりません。
それまで大切に使用させて貰わなくてはなりません。
借り暮らしのレフッティなのであります。借り暮らしのカナモリッティなのであります。
借りたものはあの世に持ってはいけないのであります。
冥土の土産は眼に見えないもの、カタチのないものなのかも知れません。

しかしシンプルなはずの「借り暮らし」であるのにもかかわらず、人間の場合、ややこしい手続きや
更新や、契約事項を余儀なくされたりします。非常に鬱陶しいシステムが好きな生物であります。
ヤドカリだったら、引越ししたりするにも新しい貝殻をみつければいい。
面倒な住所変更届けやガスの開栓依頼なんかしなくてもいい。気楽であります。
ほんと人間の借り暮らしはややこしい。
だから、極力生活をシンプルにダウンサイズしていきたいと思う今日この頃であります。
借りっぱなしのものを少しずつ地球に返却して、最後に返すものはこの身一つでありたいと
思ったりする。まあ、持たざるビンボー人の偏向思考だと言われたらグーの音もありません。

宝塚歌劇団の「銀ちゃんの恋」がまた再演されるそうです。
故人になられてしまいましたが、原作者であるつかこうへいさんもさぞやお喜びのことでしょう。
カナモリッティ先生も念願の観劇ができるとお喜びであります。
華麗なタカラジェンヌたちに自作曲を目の前で熱唱されたりした日にゃ
「俺、泣いちゃうかも・・・」とやけに殊勝なカナモリッティ先生であります。
こういうのこそ「冥土の土産」というのかも知れません。