エピソード110 オッサン・イン・ワンダーランド 前編

暦の上では9月に入ったというのに、まだまだ厳しい残暑の残るウィークデイでありました。
私の車は阪神高速道路を西へと向かっておりました。
大阪港線天保山出口を下りてすぐにUターン。
直進すると、海遊館や巨大観覧車などで知られる天保山であります。
天保山は「日本で一番低い山」ということでも知られております。かな?

天保山運河を渡り一筋目を左折してその名も「海岸通り」に入った。ここはまだ港区である。
右側へ折れながら天高く舞い上がる竜のように見える巨大な橋梁が前方に姿を現した。
なみはや大橋である。
この辺りの水域は、海と運河との境界線上にある。塩水なんだか、真水なんだか
どっちにしても舐めてみる勇気が出るような水面ではないけれど。
もちろん埋立地なので、元々は大阪湾の海上である。
下を大きな船舶が航行する為、ここらの橋は皆水面からハンパじゃない高さがある。
まだ入道雲が湧く青空へ駆け上るような心持ちで私の車は朝の太陽が照りつける橋を渡った。

橋を渡るとそこは大正区である。
私lefty-hiroが三歳から十歳までの幼年期七年間を過ごした街である。
長い間訪れていないので、私は現在のこの地域の状況をまったく知らない。
ただ大阪湾に面し、運河に囲まれ、工場や倉庫に占拠されたちょっぴりダーティーな街
という状況は変わりようがないはずであった。

なみはや大橋の頂上を過ぎ下りにかかると、右前方の新しい埋立地に建つ
青と黄色にペイントされた巨大な建物が視界に入ってきた。
そう、これこそが今日の私の目的地である「IKEA鶴浜」である。

IKEAはスウェーデンを発祥の地とする家具ショップである。
以前、神戸の灘辺りに存在した酒蔵を改装したIKEAには私も出かけたことがあった。
今回の「IKEA鶴浜」ほど規模の大きなものではなかったが、
お洒落さんの街神戸に似つかわしいなかなか趣き深いお店だった。
最近、ポートピアランドの跡地にやはり巨大な新しいショップが出店したそうである。
ま、とにもかくにも「IKEA鶴浜」へ私はこの日初めて出かけたのであった。

一周して駐車場へ向かう途中、建物の裏手に横付けされた巨大なコンテナから
商品が続々と搬入されているのを見た。それだけでこの外資企業の勢いが理解できる。
外国航路の船便と直結できる立地は強力なメリットだろう。
背景の海上には、今や巨大な幽霊ビルと化したW.T.C.が聳える南港が浮かんでいる。
心なしか、蜃気楼のようにピントがずれて見える。
外資企業誘致の勢いに、片や第三セクターの体たらく...哀しい対照である。

時刻は11時を少し回ったところである。私は正午にある人物と此処で待ち合わせをしていた。
約束の時刻まで少々時間があるので、ひとりで少し店内を散策することにした。

店内は1Fには家庭用品小物グッズ関係、2Fには家具の展示という構成である。
とりあえず私は1Fの様子を見てみよう~っと思った。ちょっぴりウキウキするおっさんであった。
噂通りなかなかリーズナブルな気がする。平均市場価格をはっきり知らないから断定はできない。
平日のまだ午前中だというのにけっこうな人出である。
皆さん、大きな黄色のショッピングバッグやカートに山盛りの商品を入れている。
私もつられて数点の食器とIKEA製の板チョコを三枚購入してしまった。

店内のレストランやビストロではにこやかに食事やお茶を楽しんでおられる方々もいる。
皆さん、本当に満足そうである。幸せそうである。生活費の心配など無用のようである。
しかし今この空間は本当にあの阪神工業地帯のど真ん中、大正区に存在しているのだろうか。
あまりにも大正ハードボイルド区とかけ離れたムードではないだろうか。
少なくとも幼年期の私が知っている昭和30年代の大正は、
生活費の心配が区民心情の80%を占めていたのである。
十歳の子どもがなんちゅう所帯じみた感想もっとんねん!という声が今聞こえました。
そう、ガキンチョにもそんな感情を抱かせるほど、大正区とはひと口で言って
所帯じみた街なのであり、裏を返せば人情に厚い住みやすい街だったのである。
小学校低学年の私がお使いに通った平尾商店街などはまさに「所帯じみさ」のみを商っていた。
まだ施政権が米国にあった沖縄の揚げ菓子サーターアンダーギーを揚げていた
眉毛の繋がったおばちゃんの店などはなんとなく外資系企業ともいえなくもないかも知れないが、
その「南国系所帯じみさ」はハンパではなかったのである。
しかし、現在のこの空間たるや北欧の白夜の国から直送されたリッチ&ハッピー感に充たされ、
家具や日用品を売りながら所帯感、日常感、生活感がどうも希薄な気がした。

予定外の買い物をしてしまって時計を見るともう数分で正午である。
待ち合わせ場所に指定された正面入り口に出ると、陽炎ゆれる殺風景な道の向こうから
シャトルバスが土煙を上げてやってきた。
横っ腹にやはりブルーとイエローでショップのロゴが大書されている。
エアポートリムジンのようなフルサイズ・バスである。
扉が開き、これまた満面の笑みをたたえた人々が次々と降りてくる。
降客全員が足早に幸福の殿堂たる店内へ飲み込まれようかというそのとき、
ダークなサングラスにうつむき加減の見るからに不景気そうな男がよろりと降り立ったのであった。
金森幸介であった。

不吉な予感に苛まれながら後編へ続くのであった。