​エピソード119 ゴミ屋敷の世界遺産

早いもので、12月も最早半ばであります。みなさんお忙しいことと存じます。
今年もな~んも大した事を為すこともなく、ただ虚無のうちに過ごした僕であります。
しかし、金森幸介の名言「だ~れも聞いてへんベース」同様「だ~れも見てへん三面記事」を
公器をお借りしつつも今年は20以上も楽しく書かせて頂いたという喜びは
僕なりにあったりして、ほんとありがとうございます。

平成22年が終ろうと西暦2011年がやって来ようと、ただ暦の上での便宜上のことだとは思うけれど
やはり地球が自分も回転しつつ、太陽の周りをワッセワッセと一周したわけですから、
「お疲れさん!」と労ってあげたい気にもなったりします。
まあ地球が自転や公転を一瞬でも休憩したりしようもんなら、制作ジェリー・ブラッカイマー
監督マイケル・ベイのパニック・ムービーになってしまいますので、
地球くんには頑張って無休で回り周り続けてもらわなくてはなりません。

今年は金森幸介が引越しという大業を成し遂げた記念すべき一年でありました。
身の周辺を一度点検してリセットする意味でも転居というのは意義があると思います。
金森幸介の転居の顛末を見聞きし、ある意味羨ましいなあと感じたのは事実でありました。
そこでこの僕も引越しこそする予定はありませんが、金森幸介を見習って、
一度身の回りを整理しようと思い立ったという次第であります。
なんせ現在の僕の自室はモノであふれかえっております。
ほぼ八畳の床面はすべてモノが置かれ、足の踏む場もないとはこのことであります。
せっかくの年末ということで、大掃除ついでに部屋のモノを整理しようと決意したのであります。

楽器類は、今現在神戸で下宿生活をしている長男の部屋に移動。でもまだ多過ぎる。
「これから絶対に使うことがないと思われ、しかもあまり愛着のない」楽器を手放すことにして
先のEPISODEでご紹介した心斎橋LOFTの楽器店へ買取り依頼に訪れたのである。
楽器店のカンニング竹山似の温厚そうな店員くんは僕が持参した楽器をケースから取り出し、
「う~ん、これはレアでミントでいわゆるグッドルックですねえ」と長嶋監督みたいな感想を述べ、
予想の倍ほど高額の査定額を提示してくれた。
「さよか、なんや分からんけど、そないにレアでミントでグッドルックなんやったら、
やっぱ売んのやめよかな」とも思ったりもしたけれど、
「♪やっぱりお金はあったほ~がいぃ~」と有山淳司に右耳元で囁かれ、
買取りをお願いしたのであった。

 

楽器の次に部屋を占領しているのが衣服である。
もはや「ワードローブ」の域を超え、「布地獄」分かりやすく言えば「ゴミ屋敷」である。
日本古来からの趣き深き歳時記であり、「衣替えタンスの奥にヘソクリが」なんていう
俳句の重要な季語でもある「衣替え」すらここ数年行っておらず、
「収納」はまったく機能せず、衣服の山の一番上を数点つまみ上げて
今日のファッション・コーディネートいっちょ上がり!という生活を続けていたのである。

僕は物持ちが非常によいみたいで、特に衣服は顕著である。
二十代からほとんど体型が変わっていないのが理由かも知れないけれど、
三十年くらいはザラに着用しているものも多い。
大阪梅田の阪急イングスのオープニング・セールで購入した
ピーターストームのオイルドセーターとドロミテのコルチナという名の
チロリアン・シューズは今も平気で愛用している。もう三十年くらいは経つだろう。
ピーターストームはもはやオイルドではなく、「老いるど」になっているし、
ドロミテは二度ヴィブラム・ソールを張り替え、「泥みてえ」になってはいるけれど、
けっこう今だお気に入りである。
なんだか当時の油井昌由樹とかに触発されてのアウトドア・ファンみたいに聞こえるなあ。
そうでもなかったように自分では思ってはいるんだけれど。
まあ雑誌popeyeにはノせられたクチではあると白状しときます。

その時一緒にシェラ・デザインズの60/40マウンテン・パーカーも買った。
当時僕はなぜかマウンテン・パーカーに憧れていた。
映画「卒業」でダスティン・ホフマンが着ていたからである。
僕はその頃、彼女にフラれた直後で、マウンテン・パーカーを着さえすれば、
「卒業」のベンのように彼女を取り戻せるような気がしていたのである。
だけど当時の大阪の巷ではあまりマウンテン・パーカーにはお目にかからなかった。
イングスで見つけたときには、一も二もなく飛びついた。
サイズはLLしかなく、僕にはどう考えてもオーバーサイズだが、
その時の僕にはそんな問題は瑣末なことだった。とにもかくにも「マウンパ着るべし!」
だったのである。

自宅に戻り、小躍りしつつ水色のマウンパに袖を通し、鏡を見てみると、
ダスティン・ホフマンとはほど遠く、やつれたパディントン・ベアーがボソリと立っていた。
当時、大塚博堂さんが「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」という歌を歌っていたが、
まさにそれを地でいった感がある。

「卒業」のベン君のように行動もせず、ただ悶々としたパディントン君であった僕の元に
彼女はもちろん帰らなかった。

アップル社などに先駆けてのリベラル企業の尖兵とも言えたシェラデザインズが世に送った
僕のマウンテン・パーカーはその後数十年、ゴミ屋敷の藻屑として甘んじていた。
ところが元号が変わり世紀さえも跨いだ、そう、今から数年前にほとんど新品状態で
発掘されたそのマウンパを、僕は金森幸介に進呈したのである。
長身の彼にはLLサイズもちゃんとフィットした。無駄にならずホッとしたものである。
まあ金森幸介センセイが着用してくれているかどうかは知らないけれど。

リサイクル・ブームで古着などが見直されている昨今であるが、
僕はこれまであまり関心を持っていなかった。
しかし、以前ここでもお話ししたように、あるライブ会場で金森・有山の両氏から
その日の会場の向いの古着屋で購入した300円也のシャツを見せびらかされてから、
実はかなり古着について気になりだしていたのである。
因みに糸川さんの音楽物語"JAMES WIND"に出演している金森幸介が着用しているのが
このときの300円也のシャツである。
究極のハレの場であるべき芸術作品に300円のシャツである。

古着について気になりだした僕は早速インターネットで検索してみたのである。
驚いたことに、関西ではかなりの大手である2ND STREETという古着屋さんのチェーン店が
僕の家から車で10分圏内に3軒、15分圏内に1軒、20分圏内に1軒あることが確認されたのである。
これはもう古着屋天国である。大和川以南の未開の地もけっこう棄てたもんじゃない。
早速一番近くの店舗へ出かけてみることにした。

想像していた「古着屋」のイメージとはかなり異なる清潔感漂うショップであった。
かつてミナミのアメリカ村なんかの古着屋さんといえば、狭っくるしい店内に
消臭目的のお香が濛々と焚かれ、お店の人はインド系かヒッピー系、もしくはオールディーズ系、
はたまたミリタリー系という、どれをとってもあまりお近づきになりたくない人種であった。
しかし、ここ2ND STREETでは広々とした店内にお香の煙なし、
お店の人は今すぐお近づきになりたいようなアイドル系女性なのである。
ディスプレイもシンプルだが、少なくとも天神橋商店街のセレクト・ショップとかとは
遜色ないような気もする。そんなお店があったらの話だけど・・・

かなり感心して店内を物色する僕に、店長と思しきロザン宇治原似の男性が近寄ってきた。
僕はその日、高校生のときに従兄の大学生のお兄ちゃんから貰ったジーンズをはいていた。
ジッパーではなくボタンアップだったので、小用を足すのがとても面倒くさくて、
貰った当初はまったく穿く機会を持たず、やはりゴミ屋敷での藻屑としての処遇を
長年に渡って受け続けていたのだが、最近になって
「ボタンは全部使用せず、一個飛ばしでも大丈夫」なことに気づき、
しばしば着用するようになったジーンズである。

そんな僕の尻部分を宇治原似の店長は舐めるように観察し始めたのである。
そして「・・・ちょっと失礼してよろしいでしょうか?」と
背後から僕のTシャツをめくり上げたのである。
「ちょ、ちょっと、そっちの趣味は・・・!」とチョチョ舞う僕に、宇治原店長は
興奮しつつ言った。「60年代のヴィンテージ501ですね!」
なんでも旧いLIVESの501は希少価値があるそうなのである。
「う~ん、これはレアでヴィヴィッドでいわゆるグッド・コンディションですねえ」と
またもやミスターが乗り移って語った。

「ぜひお買取りさせて頂きたい」と言う。
提示された買取額は、はき古しジーンズとしては常識ハズレの高額であった。驚いた。
「そないにレアでヴィヴィッドでグッド・コンディションなんやったら売らんとこかな」
とも思ったが、今度は上田正樹が左耳で「♪やっぱりお金はあったほ~がいぃ~」と囁くので、
その場で加齢臭含みのホカホカジーンズを脱ぎ、諭吉さん二枚と交換し、
代わりに300円の特売ジーンズを穿いて帰宅したのであった。

数週間経ち、再びその店を訪れると、中央のガラスケースに「世界遺産 非売品」として
ディスプレイされた、かつてのゴミ屋敷の藻屑を発見したのであった。
う~ん・・・価値観とはホントさまざまである。