エピソード17 Texas Cookin’
ライブの打ち上げの席で、お店の方がご馳走を出して下さることがあります。
たいていの場合、私はなんの関係もない立場なのだが、図々しく頂いてしまう。
その上私は内弁慶&口ベタなので、場を盛り上げるような会話さえ出来ない。
ただ黙々と飲み食いする見知らぬ男...そんな奴を金森幸介のライブの打ち上げで発見したら
そいつがきっとlefty-hiroであります。
2003.11月某日
なんの役にも立たないくせに、人々の観察だけはしているのだからタチが悪い。
その場の出来事は後に面白おかしくネタにされネット配信されてしまうのだ。
あるライブの打ち上げの席で、どなたかが持って来られた柿がテーブルに置かれた。
お店の方が「みなさんの中に柿を剥くのが得意な方はいらっしゃいませんか?」と訊かれる。
飛行中の旅客機での「お客様でお医者さんはいらっしゃいませんか?」なんてアナウンスを想像した。
「自分は柿を剥くのが得意である!」と自負している人間なんているのだろうか?
そしたら、いた。
ミュージシャンのN.P.J.氏である。(日本人である)
髭面の見るからに武骨そうな大男である。
しかし、一旦ナイフと柿を手にするや、繊細なタッチで流れるように柿の皮を剥いていく。見事である。
しかも「柿の場合、皮は少し厚めに剥かないとね」なんて薀蓄までのたまうのである。
「これって、氏の演奏にも通じるよなあ...」と私は柿をモソモソ頬張りながらまたしても心で思った。
(だからぁ、声に出せって!)
2003.9月某日
テレビや新聞には胸が痛くなるようなニュースが今日も溢れていた。
もうなにもかもを放り出してどこかへ行ってしまいたかった。
自分の平穏な日々を根底から覆して、遍くこの世の不幸に捧げる勇気も私にはなかった。
夏に猛暑がなかったツケは秋口にまわり、寝苦しい夜。ただただ憂鬱な毎日だった。
気持ちが沈んだ時には熱い風呂に入って腹いっぱい飯を食えと誰かが言ってた。
銭湯好きの私は熱い風呂に入るのはやぶさかではないが、食欲は完全に失っていた。
そんな夜、私はCDの貸し借りの為に金森幸介と会う約束をしていた。
自分のブルーな状況を感じさせないよう配慮したつもりだったが、彼にはお見通しだったのかも知れない。
「風呂でも行こか?」と彼は言った。そこまではいつもの夜となにも変わらなかった。
いつもと変わらず我々は銭湯に行き、けしからん話に笑い、湯上りにフルーツ牛乳を飲んだ。
それから彼の自宅に戻り、音楽を聴いた。
歌は”One More Highway Song..”で終わった。
こういう締めくくりはなんだか胸が熱くなる。
タバコを一服すると「なんか食うか?」と彼は言った。「そうやな..」と僕は応えた。
金森幸介は立ち上がって台所に向かい、私は彼の素っ裸にエプロン一枚の後姿に見とれた。
「幸介...エエ尻してるなぁ...」
嘘です。冗談です。ピンクジョークであります。
私は音の消されたテレビをぼんやり見ていたのです。
「あんまり最近食欲ないから..」私が言うと、「そうか、けどその分性欲ありまくるがな」と金森幸介。
そして私を無理やりベッドに押し倒して、いやがる私の後ろ手に手錠をかけ、
シャツを引きちぎり、「僕のネバー・ランドへようこそ!フーッ!」 ...だからそうじゃなくて。
10分ほどして金森幸介は二つの丼を持って台所から戻ってきた。
「これな、この前四国に行ったとき食べたウドンを見よう見真似で作ったんやけど、
これが結構イケるんや。この夏はずっとこればっかしやったわ。食欲なくてもツルッと食べれるねん」
彼がつくってくれたウドンは確かにイケた。汁の最後の一滴まで私は飲み干した。
食後、彼が再生機に入れたCDはジョニー・ティロットソンだった。
私から食欲を奪っていた憂鬱はすこしだけ遠のいた。
その後、自宅で彼に教えてもらった通りにつくってみたが、何度やっても同じ味にならない。
憂鬱が遠のくどころか、逆にトホホと哀しくなってしまうほどである。
どんな分野においても才能の無い自分に憐れみさえ感じた。
料理にはレシピ以外のサムシングが必要なのかも知れない。
すべての歌はラブソングだと私は思う。そのLOVEが向かう対象は様々だけど。
クッキングだってきっとそうなのだ。神田川俊郎も「料理は心!私はヅラ!」と言っている。
前出のN.P.J.氏(オリビア・ニュートン・ジョンではない。ジョン・ポール・ジョーンズでもない
どっちかというとO.J.シンプソンが近い。コラコラ!)の話に戻るが、
その時の氏のイカツイ手でのナイフさばきを見ていて、「どっかで見た記憶が...」と私は思った。
そうだ。亡父だ。遠い昔、子どもの頃の父親の手である。
父親は料理などまったくしない男だった。当時の世の亭主のほとんどがそうだったように、
自分は食卓の上座に陣取り、食事は上げ膳据え膳、すべて母親まかせだった。
しかし、献立が鍋料理の日は違った。鶏の水炊き、うどんすき、すき焼き、etc.
食卓の中央にコンロが置かれると、父親はとにかく活躍した。
単なる”鍋奉行”や”仕切りたがり”なんて穏やかなものではない。
野菜や肉を入れる順番や場所、火加減、煮え具合など、父の頭の中には詳細に理想があり、
食べどきと判断するや、「さあ、今や!食べろ!」と号令をかけるのである。
そして「どや?うまいか?」と我々子ども達に訊ね、「おいしいわ。おとーちゃん」と応えると、
満足したように自分は母親の作った煮物などを食すのだった。
どうなんでしょうねこれって。火を囲んだ一家の長の古代からの本能なのかも?
その時、父親が自分の掌をまな板代わりに豆腐を器用に切っていた光景をN.P.J.氏の
柿剥きを見て思い出したのである。
最後に金森幸介流”憂鬱をぶっ飛ばせ!カラメテー・ジェーンの絡めてウドン”の作り方を記します。
夏季に食すのがお勧めですが、暖房の効いた部屋でツルツルも悪くないかも知れません。
<材料>
讃岐うどん(乾麺でも生麺でも可)、卵黄、きざみネギ、スダチ(酸っぱい柑橘系ならOK)
煎り胡麻(すり胡麻でも良いが栄養価が高い反面、食感に欠けるかも)、土ショウガ、
醤油(普通の生醤油でも良いが、ダシ醤油があればモア・ベターよ)
<作り方>
うどんを茹でる。・・・少々固めが良いかも。そうアルデンテよ。アルベデ~ルチ~!
茹だったうどんをザルに入れ、流水で軽くヌメリを取る。・・・あくまで軽く。暖かさは残すべし。
丼にうどんを入れ、真ん中に窪みを作る。・・・ チキンラーメンの玉子ポケットの要領ね。
卵を割って、二つの殻を往復させて白身を落とし黄身だけを残す。・・・byザ・タイガース
うどんの窪みに卵黄を入れる。・・・割れないように気をつけてね。
きざみネギをその上にのせる。・・・万能ネギで良いです。ちょっと水でさらした方が後味よいかも。
胡麻をまんべんなくふりかける。・・・好みですが、「なんでこんなに!」と思うくらい多くても良いかも。
おろしショウガをその上にのせる。・・・ショウガがないとこのうどんは完成しません。しょうがないわね!
スダチを絞る。・・・このスダチの酸味と卵黄のまったり感の絡みがキモかも?
醤油をたらす。・・・とりあえず少なめでいきましょう。
卵黄と麺をからめるようにかき回す。・・・同時に空気とLOVEも絡める。(ベタやな~)
ツルツルと思いっきり音をたてて吸い込むように食すべし。Good Luck!