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エピソード31 私はちっちゃな男です

今回のタイトルは「わたしは真っ赤なリンゴです~」のメロディーにてご唱和ください。

マドロス帽を斜に被って田端義夫が登場する。
「オ~ッス!」 レスポールを更に小ぶりにしたようなギターのボリュームをいじくりながら
「十九の春」を切々と歌い、ひっかくようにカウンターメロディーを入れる。
彼がこの愛用のギターを製作したのは1942年のことらしい。
GIBSONがレスポールモデルを市販する遥か以前に彼はこの愛用のギターを自作していたのだ。
ひとつ違えばレスポールは"GIBSONバタヤン・モデル"として世に出ていたかも知れない。
バタヤン・カスタム3ピックアップを弾くピーター・フランプトン。
1959年製バタヤンでスライドギターを熱演するデュアン・オールマン。
ハードロックカフェの看板も巨大なバタヤン!...う~む...
バタヤンのギターストラップは短い。
ジミー・ペイジのそれの半分ほども短い。シド・ヴィシャスの三分の一ほども短い。
しかし人間起きて半畳寝て一畳。長が短を、大が小を兼ねない場合だってあるのだ。

「ほんまにちーさい男やで」
私は金森幸介からよくそんな風に言われる。そう私は「ちーさい男」なのである。
別に私の身長がダニー・デビートほどしかないというわけではない。
要は「器」の問題である。

そういう金森幸介にしても「俺もちーさい男やで」なんて呟きをよく聞くので
我々は共通して「ちーさい男」なのだ。
まあ我々がちーさい男たちだとして、一体誰がおーきい男なんだろうと考える。
矢沢の永ちゃん。彼なんかこそが「ビッグ」の権化なんだろう。
何億円も持ち逃げされても何食わぬ顔で立ち直れる底力は確かにすごい。
ドーナツ・ショップで「コーヒーのおかわりはいかがですか」と聞かれて
「じゃ、ちょっとだけ...」と恐縮するシンガーソングライターとは大違いである。

先日金森幸介はある方のギターを借りてステージをつとめた。
MartinのD-45である。これはビッグなギターである。
ビッグとはいってもハードロックカフェのバタヤン...
いやレスポールくらい巨大というわけじゃない。
高価なのだ。どれくらい高価かといえば、彼の愛器は同じMartinでもD-18だから
45分の18...2.5倍?いや、それの何倍もビッグ・プライスなのである。
こんな計算をしてる時点でちーさいのである。
弾いた感想は、やはり素晴らしかったらしい。
個体差もあるだろうけど、さすがドレッドノートの王様である。
といっても彼の愛器が安っぽいというわけじゃない。それはそれ、これはこれなのである。

人の器の大きさはどこで計られるのだろう。
きっと人それぞれに違うのだ。まあ当たり前だけど。
私には私の、金森幸介には金森幸介の、永ちゃんには永ちゃんの、基準が存在するのだ。
ちーさい男はきっとそれなりにそのちーささが好きだったりするのかも知れない。

でも突発的な出来事に対する対応で、その人間の本当の大きさが見えることがある。
もし、愛する妻や恋人が突然病魔に襲われて、誰かがずっと付き添わなければならない事態に
陥ったとする。そんな状況であなたはどう行動するだろう。
ビジネスに精を出し財を成して完全看護の病院に入院させるのもひとつの選択だ。
自分のライフスタイルを根本から変え、野望もさておいて、慎ましい生活のうちに
外出もひかえ、ずっと彼女のそばにいることを選ぶのも。
どちらの選択が正しいのか私には判断できない。
ただ傍から見た場合、前者より後者の方がちーさな人生に見えるはずだ。
でも、私には後者の方が何百倍もおーきく思える。
彼女を治せるのは自分の愛だけなのだというおーきな自信とおーきな優しさがそこにはある。

年末年始の風物詩だったバタヤンの姿をテレビ画面に見なくなって久しい。
お元気でおられることを切に祈る私である。
バタヤンは小柄だけどおーきな男だ。ラスベガスのスロットで何千万円も当てた男だ。
ビバ・バタヤン!アモーレ・バタヤン!メンソーレ・バタヤン!ナマステ・バタヤン!
なにが言いたいのか自分でも分からなくなってきましたので、今回もオチなくおしまい。

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