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エピソード35 20世紀からの手紙

去年、私は夏休みを利用して福井県は敦賀市の友人宅にお邪魔しておりました。
市街地から離れた山あいの渓流沿いに友人が建てたログハウスであります。
小川を挟んだ山の中には北陸トンネルが通っているのどかなところです。
友人はThe MELLOWでペダルスティールギターを弾いていた男で
今は故郷の敦賀で炭焼き...いえ建築関係の仕事をして暮らしています。
彼は祖母の代に植えられた実家の山の杉を自分で切り出し、友人たちの手を借りつつも
ほとんど一人でこの巨大なログハウスを建ててしまったのです。
この時、金森幸介も敦賀への旅に誘ったのですが、
沖縄九州ツアーの疲れが残っていたようで不参加でした。

でもどんなに疲れていても金森幸介には感情の浮き沈みが少ない。
私にはそう見えます。
よく「今日の幸介さんはご機嫌だった」「不機嫌だった」という話を耳にしますが、
それは錯覚です。
そんな風に感じた人の心の浮き沈みがそう見せているだけだと思うのです。

敦賀での休暇の二日目、私は敦賀市内のリサイクルショップに出かけたのであります。
「なにもそんな所まで来て」とお思いでしょうが、私はそんな男なのです。
金森幸介だってツアーの目的の半分は土地土地での中古CDショップ巡りなのですから。

リサイクルショップの雑誌コーナーで私は「GQ JAPAN 2000年 9月号」
を見つけ、購入した。100円也。
オレンジ色の表紙で「おそ松くん」のイヤミ氏が「シェー!」のポーズをきめている。
小学4年生の次男が「おそ松くん」特にイヤミ氏のキャラクターが大好きで
夏休みの工作にイヤミ氏の人形を作ると言いだしたからである。
次男はなぜか今どきのコミックを読まない。
「おそ松くん」や「鉄腕アトム」がお気に入りなのだ。渋好みにもホドがある。
ついにJ2降格が決まったセレッソ大阪を応援し続ける不憫な奴なのである。
たとえどんなに弱っちくともホームタウンクラブを贔屓するというのが彼の流儀のようだ。
最近では前身のヤンマーディーゼルにも関心を持っているらしく、
「ネルソン吉村が...」などと語る御年十歳である。大丈夫か?
金森幸介もニャロメのピンバッジを胸につけていたりするし、
雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ村上ファンドニモ負ケズ阪神タイガースを応援してきた男である。
次男と金森幸介はけっこう気質が似てる気もしてきたりして。

ログハウスに戻り、私はデッキのベンチで先ほど購入した古雑誌に目を通した。
杉の木立を吹き抜ける風が心地よかった。
漫画家赤塚不二夫の特集記事が続く。インタビューの次にファッション記事。
それから「ジェリー・ガルシアという生き方」という記事。
ブレア・ジャクソンへのインタビュー記事である。訳者はログハウスにあった
「ボブ・ディラン自伝」と同じ菅野ヘッケル。菅野ジャッケルもいるのかな。
さらにページをめくると「フィッシュたちの素敵な12日間」という記事が続いていた。
えらいベタなタイトルである。でも私はベタが大好きである。
「北村和哉・文」とある。
こんな場所で6年前の北村和哉氏と出会うとは夢にも思わなかった。
フジロックフェスティバル出演の為の初来日から一年後、PHISH再来日時の記事である。
頭上の杉林からの木漏れ日を浴びながら、私は読み進んだ。

誠に勝手ながら、そこに掲載されていた北村和哉氏の文章を紹介させていただきたい。

(前略)
”ジャム”はロックンロールを、またぼくたちの生き方を、
生活を、そのまま顕したものだ。
それぞれのメンバーが即興によって無秩序な演奏を続けながら逸脱と旋回を繰り返す。
それはどこか刹那を愛した若い夏の日を思い出させる。
かつてロックンロールもそうだった。しかし今は違う。
ニール・ヤングの新作「シルバー&ゴールド」に代表されるように
それは豊穣の季節を迎えようとしている。
(中略)
ぼくたちはルーザー意識を持った世代とそのこどもたちのように
凝り固まった志向もなければ、強い信念のようなものもない。
あるのは、音楽を真ん中に持ってきて楽しもうとしていることだけ。
音楽だけでハイな気分になれると信じている。おそらくフィッシュのメンバーたちも。
(中略)
ルーザー意識を持った世代が今の社会を牛耳っている。
豊かさの欠片もない時代を作り上げた。
そしてそのこどもたちは楽しみ方を知らないまま
”ジャムのようなもの”に熱中している。
フィッシュの音楽はその両方に挟まれながらスイスイと残された日々を泳いでいく。
そしてぼくたちは、いつかは豊かな音楽が世の中の真ん中にくると信じている。
(後略)

北村氏のこの文章が誌面を飾ってから6年の時が流れ、時代は21世紀を迎えた。
今も世の中の真ん中に豊かな音楽は欠片もない。
それどころかどんどん離れていっている気もする。
僕はため息をつきながらページを閉じた。森にはもう夜が近づいていた。

敦賀から帰阪し、久しぶりに北村氏のホームページを開いてみた。
あの記事から6年、今現在のTREY ANASTASIOが眩しく微笑んでいた。

ジェリー・ガルシアという生き方、ボブ・ディランという生き方、
敦賀の友人という生き方、次男という生き方、そして金森幸介という生き方
彼らは決して「・・・のようなもの」に熱中したりしない。
自らが見つけた「豊かなもの」を追い求め続けている。

北村和哉が雨上がりの日比谷野外音楽堂で想い描いた未来は未だ実現していない。
でも少なくともそれを信じ続けている人たちが今も存在することは事実だ。
きっと愛は世界の真ん中にある。ぼくらは辿り着きたくてしょうがない。

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