エピソード42 あの場所へ

この春、テアトル梅田でロバート・アルトマン監督の遺作
「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を観たのですが、
なぜか名古屋のフリーコンサートを思い出してしまいました。
名古屋のフリコンの話は以前ここで語った記憶があります。
開催地は愛知県ではあるけれど名古屋ではないのですが、
我々大阪組は「名古屋のフリコン」と呼んでいます。
わざわざ「名古屋の」と前置くからには「大阪の」も存在したわけで
金森幸介を中心に服部緑地の野外音楽堂で開催されていました。

「名古屋のフリコン」は2001年の"LOST PARADISE"を終えたのち
ここ六年間、開催されてはいないのだけど
EPISODE11で僕は「ずっと開催されなくともそれほど不幸とは思わない」
と気持ちを綴った。でもそれはあくまで「それほど」であって、
やはり僕にとって「不幸」であることに変わりはないのである。
ずっと昔に別離れた彼女との偶然の再会を心のどこかで願うような
でもそれはまだ今ではないような、そんな微妙な思いがそこにはある。

緩やかなスロープに芝で設えられた客席。
立つと大福餅のアンコのツブになったような気分になる
半円形の白い屋根を持つステージ。
それらを包み込むように茂る緑の木々。
秋の気配が漂ってはいるけれど、やっぱり手には冷たいビールがいい。
音はそよぐ風にのってどこへともなく流れていく。
終演し、夜更けて芝生の上でのメンバーたちとの楽しい時間。
木々の枝に宿った夜露が朝露にその名を変える頃まで笑いあう。
宿舎として用意された旅館での恐怖体験や、朝ご飯のシャケと海苔の香り...

”フリーコンサート”とはカタチのないものだ。
”心地よさを求めるスピリット”だと僕は思っている。
それは恋に似ている。恋愛には主役も脇役もない。
灯ともし頃の街角。家路を急ぐ人のざわめき。レイトショーのチケット...
二人をとりまくそんなすべてのものをひっくるめて恋と呼ぶのだ。
そう、フリーコンサートでは音楽さえも心地よさを構築する一要素に過ぎない。
明確に示せるカタチや器はない。

けれど「名古屋のフリコン」はあの場所でなくてはならない。
森林公園の野外演舞場。
今もあるのだろうか?あって欲しい。
「大阪のフリコン」もあの場所でなくてはならない。
服部緑地の野外音楽堂。
別の催しでその場所を訪れるたび僕は、遠い昔別離れた彼女と二人で過ごした店に
違う女の子と来てしまったような、そんな居心地の悪さを感じてしまうのだ。

あの店には君と一緒でないと行かない。
この先どんなに時が経って、どんなに年老いたとしても
いつか僕は君とあの心地よい場所に戻りたい。
名古屋のみんな
僕は毎年、この季節にはそんなことを思っているよ。