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エピソード44 日の名残り

みなさんは”カズオ・イシグロ”をご存知でしょうか。
私などは金森幸介から始めてその名を聞かされたとき
その響きからひと頃のD.C.ブランド・ネームをイメージしてしまいました。
安全地帯時代の玉置浩二のカミシモみたいなジャケットが頭に浮かんで
華やかりしバブル経済時代を思い、なんとももの哀しい気分になったものです。

カズオ・イシグロはもちろんファッション・デザイナーではありません。
金森幸介が私にD.C.ブランドの服をお見立てしてどうすんの。
ましてやオワフ島の日本食チェーンのオーナーでも、
バンコックの現地ガイドでもありません。
「シャッチョさ~ん、私カズオ・イシグロいいます。日系三世あります」
まあ、このあたりになりますと”チャーリー・イシグロ”なんかのほうが
しっくりいきそうです。

カズオ・イシグロは作家であります。
生まれは長崎ですが、幼年期に父親の仕事の関係で渡英。
以後イギリスに在住し、現在は英国籍ですので、
その胡散臭い名前もやむなしなわけであります。
もちろん書店や図書館でも彼の作品は「海外文学」の棚に並べられております。
金森幸介から薦められた「日の名残り」は彼の代表作ですが、
Dr.レクター、アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされました。

「日の名残り」の主人公スティーヴンスは英国固有の伝統的な職業、執事である。
父親も一流の、スティーヴンスの言葉を借りれば「品格を備えた」執事であった。
由緒正しい館に仕え続けることは執事としてたいへんな名誉だ。
そして主人にあくまでも忠実であることが執事としての絶対条件である。
館で催される一国の、時には世界の情勢を左右する会合においても
執事スティーヴンスは円滑な進行を一任される。
円滑な進行とはすなわち、館の主人の政治的思惑が成就するようにである。
執事のプライベートな政治感、思想は捨てきらねばならない。
淡い恋心も封印し、妻も娶らず、ただ主人の理念の僕(しもべ)として
一生を送るのである。それはとてつもなく誇り高い職業かもしれない。

私にはスティーヴンスの人生が金森幸介のそれとダブって見えるのである。
金森幸介の音楽のソースは必ずしも彼のセルフ・アイデンティティを伴わない。
彼自身は架空の想念を内包した音楽の下僕でしかないのではなかろうかと。
己が信じた音楽に仕えるために彼はその人生を捧げ続けているのだと。
大袈裟な表現だけど、少なくともそれに近い「決意」を私は感じる。
音楽が主で彼が従なのである。
これが逆転している音楽家もいる。場合によってはそれもまた良しではあるが。
スポーツなども同じだ。どれだけ自分が仕える競技に敬意を示せるかで
アスリートの品格はほぼ決まる。
カメダ・ファミリーなどはいつ何時も「主」たらんとする姿勢が見て取れる分
そこにはやはり品格は感じられない。

金森幸介。彼にもMr.スティーヴンスのように封印された淡いロマンスが
あるのだろうか。私はなにも知らない。
彼の人格を形成しているスピリットについて、私は理解しきってはいない。
でもそれでいいのだ。ボンボン・バカボン・バカボンボンなのだ。
ラブ・ソングは世界中の数多な愛しきLOVEへの思いであり、
メッセージは世界中の数多な愛しきLIVEへの願いなのだ。
だから「私のお墓のま~えで泣かないでください~」
なんて腹式呼吸で歌い上げられても困るのである。死んでるのに。

カズオ・イシグロ著「日の名残り」
いいなあ。切ないなあ。大英帝国万歳!*ロリー・ギャラガー万歳!
メイド喫茶の流れで「執事喫茶」なるものが巷に出現したらしいけど、
おっさんに「お帰りなさいませ。ご主人様」なんて傅かれてもなあ。

*注)今、金森幸介はさんくすホールのOさんからゲットした
   ロリー・ギャラガー音源に首ったけなのです。
   因みに私とタメ歳のカズオ・イシグロ氏も学生時代には
   ミュージシャンを目指したらしいです。
   寒くなったけど、みんな風邪に負っけんな~!テッド・マッケンナは
   マイケル・シェンカー・グループのドラムだぜ。おっと!ロリーんとこにもいたっけ。
   じゃ、あばよ~。ってなんやそれ。

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