エピソード46 ならず者たちの残像

秋深し、箕面の寒々カフェにて金森幸介から一枚のCD-Rメディアが手渡された。
「これ、ほんのお口汚しでんねんけど...」
久々に我が家を訪れた泉大津のおばちゃんが手土産を差し出すように
彼は言葉を濁した。
音源をくれるときはいつも「これ聞いてみてみてみ~」と
自信たっぷりの彼が今回に限ってなにやらしおらしいのである。
ブツはイーグルスの最新盤であった。スタジオ録音盤の発売は28年ぶりらしい。
彼がKimsha氏から譲り受けたもののおすそ分けというわけだが、
どうも歯切れが悪いのは店内の寒さのせいだけではないらしい。

「俺ははっきり言うて、全部五回ずつ聴いた。
けどな、あんまり良うない。少なくとも2枚組は必要ない。
そんで、俺セレクションで11曲に絞り込んで録れといた。
万が一hiroが気に入ったら全曲入った俺のんやるから。」
と、そのような事前説明を受けたのである。。

そんなわけで、自宅に帰って期待せずに再生機に入れた。
金森幸介が言った通り、あまり印象はパッとしない。
今回、バーニー・リードン、ランディー・マイズナーはもちろん参加していない。
よくFMラジオから流れているJ.D.サウザーの曲はなんともスカなので
幸介セレクションでも選外であった。さすがである。
ドン・フェルダーの不在は意外と大きいものであった。
彼の存在が全身AORまみれから寸止めをかけていたような気がする。
パッとしない。でも何故か聴いてしまうのだ。なんで?
と不思議に思っていると、金森幸介からメールが届いた。
アルバムのクレジットと共に「なんや知らんけど、よう聴いてます。やれやれ」
との一文があった。

我々がそれぞれ似た感じ方をしたのは何故だろう。
「パッとしないけど、惹かれる」みたいな感じなのである。
きっと1970年代前半の彼らの残像が瞳の奥ずっと奥に焼付けられているのだ。
その残像が甦るとき、我々の瞳は十代の視覚の記憶を取り戻す。
それは若き日の我々自身の残像でもある。限りなく幻想、幻覚に近い。
フラッシュバックされた残像は切なさや痛みを心に突き立てて
我々の理性を狂わせるのだ。
同窓会で再会した中年男女の焼けボックイに火がついたりするのも
この現象の一種である。
相手のハゲもシワもタルミもお互いが焼き付けた残像によって紗がかけられて
デヴィッド・ハミルトン撮影のソフトフォーカス少女に見えてしまうのだ。
偉大なるイーグルスと道ならぬ中年カップルを一緒くたにするのはなんだけど。
ほんとになんだけど...なんや知らんけど、よう聴いてます。