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エピソード61 大阪名物 爆キャラ発掘 中編

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「物事はシリアスに始まりジョークで終わる」とカール・マルクスは指摘した。

いきなり賢そうな書き出しをしてしまいました。
「毎回毎回下ネタばっかりやないか。アーティストの公式ホームページの
リンクにこれはいかがなものか」といったお叱りを一身に受け続けるに耐えかねて
いっぺんはインテリっぽく迫りたかっただけです。でも後が続きません。

でも実際世の中の事象というものはその外飾をとり去って見てみると
すべからくシリアスで始まってジョークに終わっているのではないだろうか。
私と金森幸介が主に活動するのは深夜。人々は日中の緊張から開放され
図らずも剥き身の自分を垣間見せることになる。
我々はこれまで、シリアスドラマが傑作コメディーとして終演する現場をなんども見てきた。
その都度熱いスタンディング・オベイションを送り、主役なきカーテンコールに
「ブラヴォー!ハラショー!」と夢中に歓声をあげた。
これは金森幸介のinside-reportでもあり、私と金森幸介が目撃した
この世界のinside-reportでもあるのだ。(大阪周辺のち~さい世界ではあるけれど)


ミッキーがダントツのワールドチャンピオン・オブ・ザ・キャラクターに
君臨し続けうる理由はその「天然さ」である。
可愛くみせてやろうとか癒してやろうとかの「わざとらしさ」「あざとさ」が感じられない。
電話中になにげなくメモ用紙にイタズラ描きしたような自然さがある。
三個の黒い丸だけで世界中の人間に認識されてしまうキャラ。驚異的である。
そこんとこ「せんとくん」にも「まんとくん」にもデザインという無理からな意図を感じてしまう。
映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」の中のエピソードに、
米国横断ランニング中のフォレストが顔を拭いたTシャツに残った汚れ跡を見て
例のスマイルマーク(スマイルフェイスっていうのかな)が考案された
っていうのがあったけれど、あのキャラにもそんな絶対的天然さを感じる。

音楽も文学も映画もファッションも車もみ~んなホンモノは天然ものである。
魚も養殖より天然だし、化学調味料より天然だしである。
これらはみんな陽の天然だが、世の中には陰の天然というか負の天然も存在する。
昨今世に蔓延る「どないなっとんの?」という自分勝手な輩である。
彼らの「自分さえ潤えばよい」という基本理念に「悪」という自覚は微塵もない。
他人が毒を食っても、教育現場がどないなっても、地球温暖化がどないなっても
ぜ~んぶ先送りである。自分が死んだ後のことなんて知ったこっちゃない。
「俺の子には金残してるもんね。うちにはシェルターあるもんね」である。
「天然のワル」なのである。Born To Be Waruである。人間の殻を被った悪魔である。
しかもこの天然ワル、世襲制で代々受け継げられていくからタチが悪い。
メディアに顔を見せる彼ら彼女らはほんとキャラが立っている。天然の悪キャラである。
悪く見せてやろうとかわざとらしさがなく、でもそこはかとかく「悪」がにじみ出ている。
だから一連の謝罪会見などを見ていると「こりゃジョークだな」といつも感じてしまう。
マルクスの見解は正しかったのである。
内田裕也の「コミック雑誌なんかいらない」も正しかったといえる。か?

などとゴタクを並べている間に紙面(?)も尽きてきました。
いよいよ佳境を迎える後編を待て!

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