top of page

エピソード70 理不尽と闘う

西暦2008年が去り、新しい年が幕を開けた。Happy New Yearである。
でも去年も彼ら彼女らは北から帰ってこなかった。
今も彼ら彼女らの帰還を待ちわびている多くの家族がいる。
拉致被害者の家族たちにとって正月などめでたくもなんともないはずである。

この数年、金森幸介の心の中の怒りと悲しみの大半はこの問題で占められている。
その怒りは日ごとに北よりもこの国の為政者に向けられてきた。
今、我々が為さねばならないことに優先順位を付けるならば
”理不尽”の力によって不幸にさらされている人々の救出だと金森幸介は考えている。
拉致被害者とその家族、自然災害被災者などである。
恥ずかしながら以前はさほど関心を抱いていなかった私も金森幸介の影響で
拉致に関する文献や被害者家族の著書などを読んだ。
その中でいちばん感じたことは、拉致被害者のご家族が例外なく紳士淑女であることである。
すべての人が静かに淡々と言葉を紡ぎ、その後遠い視線を彼の国に向けるといった印象だ。
その怒りと悲しみは我々が想像しうる場所から何万光年遠いところにあるだろう。
でも彼らは決して声を荒げたり恫喝したりしない。節度を保ち、恥を心得ている。

現場や状況は異なるが、多くの自然被害の被災者の方々にも同じような印象を受ける。
”理不尽遭遇者”に降りかかった不幸。そこに遭遇者の責任は1%も介在しない。
だからこそ”理不尽”なのだ。
完全な”理不尽”に見舞われたとき、人間は存外に見苦しい行動に出ない。
”完全なる悪”に対して自身の”完全なる正当”のプライドがそうさせるのかも知れない。
だからテレビで映し出される陳情団体の官庁の担当者への恫喝まがいの行動を見ていると
なんだかなあと感じてしまう。
そりゃ仕事も住居も失って切羽つまっているのは重々分かるけれど
担当者に罵声を浴びせ、汚い言葉で自らの権利を主張する姿には少し閉口してしまう。
「えらい元気やんかいさ」
日々自転車操業の私などにはそんな活力もない。
ほんとここんとこの不景気には、ジッサイ右往左往の状態である。「私も明日には失業者」である。
でもこれを”理不尽”とは呼ばない。なぜなら事態を招いた責任は自分にもあるのだから。
この道をこの人生を選んだのは自分なのだから。

こんなキビシー経済情勢の中だからこそ誠実でいたいと思う。恥を知りたいと思う。
拉致被害者のご家族たちの凛とした姿勢は我々にそんな「人として生きること」を教えてくれる。
インスタントラーメンの値段なんて知らなくても、漢字を読めなくてもいい。
一日、いや一秒でも早い拉致被害者の奪還に身を削ってくれるなら
その首相を全面的に支持する私と金森幸介であります。

bottom of page