エピソード72 十字路で

今年も桜前線とともにマイ・バースデーが近づく3月の中の頃
はらはらと降り出した霧雨の街を俺は見下ろしていた。
えっ?俺?俺は金森幸介。まあなんとか音楽で口を糊して生きている。

テレビでは我が国の現在の問題を誰かが深刻な顔をしてしゃべっていた。
不毛な討論。ポール・オースターなら「息の無駄遣いさ」と言い捨てるだろう。
問題は今日の雨、傘が...いや傘ならある。
問題は最近の運動不足ですっかり体力を失った俺の身体である。
数日後には四国、中国を周るツアーに出なくてはならない。
ただ口を震わせ指を振り下ろしするだけのサギみたいな仕事だとはいえ、
少々の体力は蓄えておく必要がある。散歩がもっとも効果大である。
俺は少し勢いを増した雨を圧して街に出た。
「モランボンのチャプチェのような春雨じゃ。濡れてまいろう。のうユンソナ」

とは言ったものの俺は傘をさして小雨そぼ降る道を歩き始めた。いつもの散歩コースである。
体力回復が目的とはいえ、昨今流行りのウォーキングではなく、
俺の場合あくまでも散歩である。
図書館で本を借りて公園のベンチで読んだりもするし、コーヒーを飲んだり、
復活書店の「店長号泣セール」で三点1000円CDの掘り出し物をゲットしたりもする。
これまでに何度店長を号泣させただろう。俺も男泣かせの罪な男だ。

いくら感動の掘り出し物をゲットしても俺の心は今日の空のように晴れない。
それはこの国、いやこの世界をスッポリと覆い尽くしている黒い雲のせいである。

定額給付金の申請ごときになんぼほど手間かけてなんぼほど手間とらしとんねん!
土日の高速道路料金1000円って、CO2削減はどないなっとんねん!
なにからなにまでどないなっとんねん!
遍くこの世界の弱者の悲しみと怒り...爆発寸前のClose to the Edge

比較的細い道が交差する十字路の歩道に俺は立ち、街路樹の桜を見ていた。
白い蕾はまだ硬く、瑞々しい雨粒を抱いている。
道を隔てた向かい側の民家の駐車場から車が出てきた。
アルファロメオ。緑色のジュリエッタである。左側シートで中年の女性がハンドルを握っている。
駐車場の傍らでもっと年嵩の女性が見送るように立っている。
多分実家に帰った娘を送る母親なのだろう。
アルファロメオはガレージから右に出たいようなのだが、ハンドルをいっぱい右にきっても
道幅が狭いせいで車の鼻先が歩道にはみ出してしまうようである。
まあ、一言で言えば、俺がそこに立っているのが邪魔なのである。
俺さえ移動すれば、歩道にわずかに乗り上げるだけで切り返しをせずにアルファロメオは
めでたく道路に出ていけるのである。
車上の女性がガラス越しに「どきなさいよ」と眼で促しているのを感じる。
まあ、どくことにはやぶさかではないが、俺は歩道に立っているのである。
歩道とは純然たる歩行者のテリトリーである。
純然たる歩行者である俺が歩道に立って冷たい雨に震える桜の蕾を見ているのである。
しかも俺の眼前に突きつけられているのは緑のロメオである。ジュリエッタである。
ロメオのジュリエッタである。
どうせろくでもない亭主が悪銭で手に入れたイタ車に決まってるのである。

相手がカローラだったら俺もそこまで悪辣なイメージは抱かなかっただろう。
何事もなかったように歩き去っていたことだろう。
相手が黒塗りのメルセデスSクラスだったら、即刻走り去っただろう。手もみなんかしながら。
いやその前にバンダナでボンネットの埃を拭くくらいのパフォーマンスは見せたかも知れない。
しかしロメオの佇まいは俺を何故か少々意固地にさせたようだった。
歩道を譲ろうとしない俺にロメオのおばはんは小さく舌打ちをして
ギアをバックに入れた。そして後方を確認せずにアクセルを踏んだ。
折りしも交差する道路から十字路に白い軽トラックが進入してきたのである。
ガンガラガッチャ~ン!軽トラックの横腹にロメオの後部が見事に追突した。
町の個人電気店の営業車のようである。実家の母絶叫。
「ロメオ、ロメオ、あなたはなぜロメオなの?」そして失神。
瞬時に軽トラックの運転席から電気屋のオヤジが血相を変えて飛び出てきた。
遍くこの世界の弱者の悲しみと怒りが、そして一切の顛末の唯一の目撃者であり
もしかしたらちょっぴり関係者であるかも知れない俺の溜飲を一気に下げるように
すべての心ある者の後押しを一身に受けたオヤジの口から


「コラ~~~ッ!」

大質量の言霊が吐き出され、霧雨に濡れるペーブメントの街角に響き渡った。

一方的にアルファロメオに非があるとしても、確かにオヤジの有無を言わせぬ恫喝は
人情に欠けたかも知れないし、歩道を譲らなかった俺も少々大人げなかったかも知れない。
亭主を事故で失った女性が、女手ひとつで子供達を育て、コツコツとホンコンフラワーの内職で
やっとこさ手に入れたアルファロメオだった可能性もないことはない。
でもただ一人今回の出来事の全貌を見渡した俺は、
これぞまさしくこの狂った世界のカリカチュアであり、電気屋のオヤジの「コラ~!」は
八百万の神託のコンクなメタファーに違いなしと確信したのである。

電気屋オヤジがこの世界を叱りつけてくれたお陰で俺とTambourine Manのツアーは
万事ハッピーであった。香川ではそうとうにしぶというどんを堪能し、
岡山では「今まで生きてきて一番おいしいです!」と岩崎恭子ちゃんみたいな賛辞を
俺に言わしめたラーメンにも出会えた。散歩のお陰で体力も戻っていた。
ルンルンで帰阪した俺は、久しぶりにテレビのスイッチを入れ、震撼した。

テレ朝の「報道ステーション」の古舘伊知郎の隣にいるはずのあの子がいない。
俺は狼狽した。河野明子ちゅわわん....
ドラゴンズの選手と結婚したことは知っていた。
でもこの四月の番組改編を前にテレ朝を退社していたとは知らなかった。
というか知らされていなかった。えっ?誰からって?もちろん河野ちゃんから...


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


慶應大学のラクロス部から全日本のサブ・キャプテンとしてワールドカップに出場した頃から
俺は彼女をチェックしていたのだ。テレ朝に入社したのを知ったとき、俺は自分の
審女眼(?)のブレのなさに正直自分で自分に恐怖したものである。
俺の涙腺がヤバくなりそうなニュースを読むときにはいつも河野ちゃんの頬にも
涙が伝っていた。そう、俺の心は河野ちゃんのそれといつも共にいたのだ。
俺と河野明子アナウンサーは一心同体と言っても過言ではなかったはずである。
少なくとも古舘のおっさんよりは俺に心を許してくれていただろう。
でも、さよならも言わずに彼女は行ってしまった。嗚呼、春なのにお別れですか?
行ったきりなら幸せになるがいい。帰る気になりゃいつでもおいでよ。

「やべっちFC」の前田アナも元ラクロス選手。ラクロス選手にハズレなし。
なでしこ選手に当たりなし。あ~こりゃこりゃ

(注)今回のEPISODEは金森幸介の生霊を口寄せしたイタコの恐山ヒロ子さんの口述を
筆記したものです。金森幸介本人とはなんの関係もありません。多分。