エピソード75 堕ちた天使 悲しみの天使
金森幸介は音楽を愛している。
もし彼の伴侶となる女性が現れたなら、彼女はきっと音楽に嫉妬することになるだろう。
そう、彼ほど音楽を愛し、音楽に敬意を抱いている音楽家は少ない。
おかしな話だけれど、音楽をそれほど愛してもいないのに音楽家の看板を掲げている人間は
けっこう多いと思う。
ただ音楽の周辺のエトセトラが好きだったり、音楽を好きな自分が好きだったり...
でも金森幸介は音楽の周辺にも、自分自身にも、自分の過去の音楽にもあまり興味がない。
ただ音楽のド真ん中を愛している。だから彼の音楽は商業的にはあまり成果が上がらない。
しかし自分自身が実入りの少ないシステムを選んだのだからしょうがない。
といってもマネーが要らないわけじゃない。でも愚痴を言っても始まらない。
金森幸介の自宅にはイメルダ夫人の靴コレに匹敵する膨大な量のCDがあふれかえっているが、
その中で一番聴かないのが自身のCDだったりする。
彼はコレクターではないので聴かないものは所持しない。すなわち全部聴くのである。
恐ろしき「聴き好き人間」である。恐ろしき「ヒマ人間」ともいえる。
この「音楽を聴くヒマを確保する」というのも音楽を愛する人間の条件である。
しかしいかに毎日が日曜日とはいえ、やはり与えられた時間には限りがある。
テレビでプリティー・ギャルをチェックしたり、野球、サッカー、F1などの
スポーツ中継を観たりもしなければならない。
そこで彼は再生機で音楽を流しながら、音を消したテレビを眺めるのを日常としている。
「そんな『ながら族』なひとときが俺の至福のときなのさ」と彼。
金森幸介のCD入手法といえば、ネット通販、中古店にて購入、知人からの譲り受け、
図書館で借りてそのまま借りパク、タワーレコードで万引きといったところだが(中学生か!)
大半は中古店で購入と図書館利用ということである。
いちばん一般的な入手方法であるCD店で新譜購入という選択がはなから念頭にないが
彼の家計簿の支出の大半を占めるのが音楽関係である。
音楽で収入を得て、支出の大半もまた音楽...音楽エンゲル係数ギネス級である。
私も人のことをいえた立場ではなく、いつも中古CD店、図書館のお世話になっているのだが、
オシャレ指数に?マークが付く我が南河内の図書館所蔵CD傾向はかなりトホホである。
アニメソングコーナー、演歌コーナーがことのほか充実している。
アニソンや演歌が悪いとは思わないけど、水木一郎所蔵数6枚、吉幾三4枚。
それに反してイーグルスはなぜか「LONG RUN」が一枚きり。
ボブ・ディランがなんと5枚!太っ腹!とよく見たら「ホフディラン」やった。なんでやねん。
私も金森幸介も互いに常々感じていたことがある。
あるバンドのCDが中古店でも図書館でもまったく見かけられないということである。
J.Geils Bandである。
みなさんご存知の通り、米国ボストン出身のロック・バンドである。
デビュー当時からストーンズのパチモン的なパブリック・イメージだったような気もするが、
我々は大好きだった。
かつて大阪に”コールド・ラビッシュ”という我々の友人のバンドがあり、
初期のJ.Geils Bandのナンバーを好んで演奏していた。
数年前「探偵!ナイトスクープ」を見ていたら「心理学の先生」として
コールド・ラビッシュのボーカリストだったW君が出ていて驚いた。
W君は当時、今でいえば"SION"的(今でもないかな)なワイルドなルックスで
傍若無人なイメージのいかにもなロック野郎だったのだが、
ナイトスクープに登場したW君はちょっとメタボがらみな"島田洋七"的ルックスで
物腰の柔らかな非常に好感度の高そうな人物になっていたのである。
あれは本当にW君だったのだろうか。
J.Geils Bandは内山田洋とクールファイブに似ている。
バンド名に冠されているギタリストであるリーダーの存在感が異常に薄く、
どちらもピーター・ウルフ、前川清という看板ボーカリストのお陰で人気を保っている。
フェイ・ダナウェイ、藤圭子というスターと結婚、後に離婚しているのも相似点である。
どうでもいいが、とにかくJ.Geils Bandのコンパクト・ディスクを私は見たことがない。
メガ・ストアーやTSUTAYAに出向けばご対面できるのだろうけど、私や金森幸介には縁がない。
私の部屋からかろうじて発見されたJ.Geils Band音源は"Blood Shot"のアナログ盤と
カセット数本のみ。金森幸介にしても同様のようである。
大好きなバンドなのにまともに音源を持っていないなんて!という自責の念が募る。
しかしこれまで中古CD店で見かけたことがないのだからしょうがない。
ピーター・ウルフのソロは結構見かけるし、2枚ほど買ったこともある。でもやはりバンドだ。
どのアルバムでもいい。見つけたらいつでも即ゲットする覚悟は我々にはある。
700円以下だったら迷わない。800円だったら数分ジャケットを眺めて逡巡の後、多分レジに行く。
1000円以上だったらとりあえず棚に戻すが、見失わぬよう数センチはみ出させておく。
しかる後、半時間ほど他を周って冷静に検討し、「ディナーは吉野家で済ますとして...と」
結局はきっと購入する。幾つになったらプライス・タグを気にせずに買い物が出来るのかな。
我々は70年代を通して、偉大なるB級バンドJ.Geils Bandを愛した。
しかし80年代に入ってすぐ彼らは一気にブレイクする。
「Centerfold」が大ヒット。なんと六週間ビルボードの一位に留まったのである。
日本でも「堕ちた天使」の邦題でヒット。MTV黎明期にも重なってプロモ・ビデオも話題になった。
J.Geils Bandには私のお気に入りのキーボード奏者がいた。
セス・ジャストマン。「堕ちた天使」も彼が作詞作曲した曲でかなりポップ色が強い。
ルーズなバンド・サウンドの中にあって彼のオルガンで創るリフやピアノはキッチリしている。
さすが"ジャスト"マン。ミキティーこと白井幹夫さんのテイストに近い...気がする。
「堕ちた天使」は、エロ雑誌の見開きにガールフレンドのピンナップを見つけてしまった
ハイスクール・ボーイの傷心を歌った歌である。自分もエロ雑誌見てるくせに。
まあ売れ線といえばそれまでだが、よく出来た楽曲だし、売れるのは結構なことである。
かくしてJ.Geils BandはB´(ダッシュ)級くらいのバンドに昇格した。
しかし、この曲が収められたアルバム以降のJ.Geils Bandには私はあまり興味がない。
その前にリリースされた"Love Stinks"あたりでギリギリな私である。
「堕ちた天使」が入ったアルバム(多分”フリーズ・フレイム”ってタイトルだったと思う)
に「Angel In Blue」邦題「悲しみの天使」という曲が収録されていた。
地味なバラードだが、初期のJ.Geils Bandを思わせるR&B色が香り立つ切ない曲である。
初めはこの曲がシングルカットされる予定だったが、会社側の「よりヒット性のある曲を」
という意向から急遽「堕ちた天使」に差し替えられたらしいのである。
もちろんセールス的にはこのコンバートは大正解だったと言える。
でも今思うと「Angel In Blue」がそのままシングルとして出されていたら
あれほどのブレイクはなくとも、ボストン出身のR&Bに根差した偉大なるB級バンドとして
ピーター・ウルフの脱退もなく存在し続けたのではないかと思うのである。
そして中古CD店の棚でもその不敵な顔を見せてくれたのではないだろうか。
わが町の図書館の棚でも吉幾三クラスの扱いは受けたのではないだろうか。
華やか妖艶で饒舌な「堕ちた天使」と質素で慎ましやかだが凛とした「悲しみの天使」
どちらのangelを選択するかでJ.Geils Bandの未来は大きく変わった。
どの選択がバンドにとってよりハッピーだったのか、それは私には分からない。
「愛の真理の前では、幸福を追求することさえ打算である」とある賢人は語った。
その賢人とは私である。
愛の真理の名の下にミューズの使いと選ばれし若き音楽家、長きその道を往く。
その男、金森幸介 願わくば彼にささやかなりとも商業的成果が訪れんことを。