エピソード76 さらば友よ

「友情とは相手が生きているあいだに発揮するものであって、
死んでからじゃ遅いんだということを、お互いに学びましょうや」
「死んだ人はただそっとしておけというのが、あたしのルールです」

スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」に於いて
ジェイ・ギャッツビーの葬儀への参列を促しに訪れた主人公ニック・キャラウェイに
「大学まで出てなにを学んできたんだ」とでも言いたげに
ギャッツビーの仲間だったマイヤー・ウルフシャイムが言い放つ科白です。

「親孝行したいときには親はなし」というベタな慣用句にも通じるかも知れませんが、
親を亡くしてから立派な墓を建てたり手厚い法要をしてもit's too late
友情も親子の情も生きているあいだに発揮しなければ遅きに失することになります。
私などは日々の雑事に感けて、ついつい後回しにしてしまう傾向がありますが、
それでもお互いそんな不義理を赦しあうのも友情であり親子の情なのではありますまいか。
矛盾するようだけど。

「死んだ人はただそっとしておけ」という意思に冷酷さを感じる向きもあるかも知れません。
でも、あるミュージシャンの追悼ライブに千桁の人が集まったけれど、
彼が亡くなる直前のライブの客数は三人だったなどという話を聞くと
やはりやるせなくなってしまいます。
「お客が三人」はなにもやるせなくない。やるせないのは「追悼が千桁」です。
ほんとうに追悼ライブに参加できる資格を有するのはその三人だけじゃないのかって、
まあ、そんな風に思ったりもします。
そっとしておくことの確かさと、とりあえず関わらないと気がすまない不確かさ。
どちらにも「悪気はない」ってことはわかっているけれど、やはりやるせない。

金森幸介も「そっとしておけ」派であります。
「そっとしておけ」派は「そっとしておいてね」派でもあります。
彼にもしものことが起こった場合に私がまだ生き残っていたなら
追悼関係の集いは断固阻止するようにと申しつかっております。
ただ和歌山ぶらくり丁の和田帽子店の店先で骨を撒いてくれと言われております。(迷惑やな~)
なもんで金森幸介が亡くなっても追悼ライブなどはありません。
だから今のうち、存命中にしげくライブにお運びになり、CDなどを購入していただくのが
金森幸介へのプレ追悼、バンス香典になるものとご理解の上、ご愛顧のほど。