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エピソード83 邂逅・名伯楽

いわゆる”業界”には「あのスターは俺が育てた」などとうそぶく古株が少なくない。
その実は新人時代に一度現場で一緒になっただけだったりするのである。
「宙組の大空祐飛ちゃんは俺がボイストレーニングしたんやで~!」など
ほとんど願望が妄想の域に捻じ曲がった”自称育ての親”もいるくらいである。
しかし、その人物の尽力なくしては存在し得なかったスター誕生物語も現実にある。
そういう「逸材を発掘して育てる能力に長けた人物」を世に”名伯楽”という。
イチローにとっての故仰木監督や井岡弘樹など六人の拳闘世界チャンピオンを育てた
故エディ・タウンゼンド(”ド”ですよね)トレーナーなどがその範疇に入るだろう。
音楽業界ではビートルズにとってのブライアン・エプスタインなどが筆頭だろうか。

神戸はメリケン波止場とハーバーランドに挟まれた煉瓦造りの古いビルの三階に
JAMES BLUES LANDはある。
金森幸介がライブをおこなったのは2009年6月12日金曜日、だからついこの間の話である。

開演予定の午後八時が近づき、さて出陣と楽屋を出る金森幸介。
ステージに向かう途中、マスターが囁いた。「なんだか、おじいさんが来てますよ」
マスターの視線を追って客席に目を向けると、確かに熟年の男性がソファーに腰掛けている。
しかし、金森幸介のライブで高齢のお客さんを見かけることは珍しくない。
以前、三人組のおばあちゃまの追っかけ隊なんていうお茶目な方々もいらっしゃった。
それよりなにより、もはや本人がおじいちゃんレベルの年齢であるのを忘れてはならない。

あまり気にも留めずステージに向かい、演奏を始める金森幸介。
ライブはいつも通り順調に進行し終了した。心地よい夜である。
終演後、客席から少し隔離された一角の席で寛いでいた金森幸介の元へ
件のおじいちゃんが近づいてきた。
表情を確認できるほど接近したとき、金森幸介は息を呑んだ。旧知の人物であった。
いや、知ってるどころのレベルではない。
彼の人生の中で決して忘れてはいけない重要人物であったのである。
最後に会ってから三十数年は経っているだろうから、相応に年老いてはいらっしゃる。
しかし、今金森幸介ははっきりと確認し、立ち上がり、その名を口にした。
「わ、渡辺さん....」

金森幸介に熱いものがこみあげ、無我夢中で男性と抱き合っていた。
それを受けて男性が微笑みながら言った。「君は昔からいい声してたねえ。」
頭をかき、しきりに恐縮する金森幸介...

渡辺一雄氏であった。
我々の世代、関西で青春期を過ごし、深夜ラジオ番組を夜の友とした人間の中で
その名を知らない者がいたら、そいつは間違いなくモグリである。
渡辺一雄氏は毎日放送ラジオのディレクターで「MBSヤングタウン」の生みの親であった方である。
後に後輩の渡辺高志Dが同じくヤンタンの担当になったことから「おおなべさん」とも呼ばれた。
はっきりきっぱり”ラジオの時代”の強力な牽引車だったと断言できる。
三枝、さんま、鶴瓶etc.渡辺氏なくして現在の彼らがあったかどうか疑問である。
渡辺氏がいなかったら鶴光が女性リスナーに「乳頭の色は~?」と迫ることも、
小川知子が谷村チンペイに乳をもまれることもなかったかも知れない。
それにしても、これこそ正真正銘の名伯楽である。
それほどの名伯楽が金森幸介ごときのライブになぜ?
渡辺氏はある意味、金森幸介の生みの親でもあったのである。
金森幸介のデビュー曲である「みずいろのポエム」(ちいさなオルフェ)は
「ヤンタン今月の歌」であった。ちいさなオルフェ自体、ヤンタンが作ったようなものである。
ジャニーさんに「youはyouと組みなさい」と引き合わせられた"kinki kids"みたいなもんである。
ともあれディレクターであった渡辺氏は金森幸介の才能を発掘してくれた大恩人なのである。

しかしその大恩人に対して金森幸介は三十余年に渡りなんの連絡もせず
自身のCDを送ることもせず、不義理の限りを尽くしたのである。
確かにその後の金森幸介の活動が放送メディアと相見えぬフィールドに移行したこともある。
もし相見えていたら、金森幸介がチョビ髭を生やして小川知子の乳をもみつつ
幸福を科学していたかも知れないのだ。
それにしてもである。個人的にはやはり渡辺一雄氏は恩人である。
彼こそ「俺が金森幸介を育てた」と公言して許されるただ一人の人物である。
金森幸介は長年義理を欠いていたことをモーレツに後悔した。
話を聞くと渡辺氏は現在は神戸在住でおられるらしく、
金森幸介が神戸市内でライブを行うスケジュールをわざわざ調べて足を運んで下さったとのこと。

金森幸介はこの素晴らしき邂逅に感謝したが、同時に自分の不義理を大いに恥じることとなった。
本当の意味で「人を育てる」ことの出来る人は、決してそれを自慢したり恩に着せたりしない。
「俺はタカラヅカのセンセイや~!」「腹式呼吸レッスンでタッチングや~!」などと
はしゃいでるようでは名伯楽への道は遠いのである。
しかしそれはきっとそれでいいのである。
金森幸介は「歌う人」であり「弾く人」であり「創る人」であって
決して「育てる人」や「売る人」ではないのである。

おおなべさんは角川書店から「ヤンタンの時代」を刊行されていらっしゃるのだが
当日JAMES BLUES LANDにいた金森幸介の関係者たちが全員おおなべさんという人物を
知らなかったという事実が私には信じられない。お前らみんなモグリや~!
...って、何の?え~と、70年代関西深夜放送ラジオファンの。えらいピンポイントやのぉ。
これをご覧くださっているみなさんは、渡辺さんをご存知ですよね?

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