エピソード86 若気の至り 夏 後編
我が若気の至り同志のO君とはその後も一緒にバンドを続けた。
コンテストであまりにもコテンパンにされた悔しさからか、かなりマジメに修行し、
そこそこには楽器を操れるようにはなっていた。
しかし音楽の道のなんたるかを知るにはまだまだ青かった。
そんな高校3年の春、我々は懲りずに2度目のトホホを経験する。
4月にクラス替えを終えた教室の休み時間、後ろから「hiro君、hiro君」と呼ぶ声がする。
振り向けば、新しくクラスメイトになったK君であった。
「hiro君とO君、バンドやってるんやろ?僕ピアノ弾くんやけど、
今度アルバイトで僕の兄貴のバックしてくれへんかな?」
聞けば、K君のお兄さんとはまだ駆け出しだが一応プロの歌手だという。
そのお兄さんが今度自主コンサートをするので、K君と一緒に演奏をして欲しいというのである。
ギャラとして一人1万円くれると言う。
ギャラ!という言葉の甘く危険な香りに我々は瞬時にノックアウトを喰らった。
ギャラ、ギャラ...高いギャラ...横山プリンにキャッシーはどこいった...
などとタリラリラ~ンで詳しい話も聞かず即座にOKしてしまった。
若気の至りにしても、こいつらの脳天気さといったら...
当時の自分を俯瞰で眺めることが出来る歳になった今の私はしみじみ思う。
二度とあのボンクラ青春時代などには戻りたくないと。
会場はミナミのはずれにあるS教会であった。
K君のお兄さんが出迎えてくれる。東京ロマンチカの初代ボーカルのような髪型である。
前髪がヒサシ状にチックで固められているのである。
551の豚マンほども厚みのある肩パッドが入ったダブル・スーツをお召しである。
歌手といってもクラブ歌手でレコードデビューはまだとのことである。
なんとなくイヤな予感がよぎった。
楽屋でお弁当が出された。生まれて初めての楽屋弁当である。
なんだかうれしい。O君とひとり一個ずつ頂いたが、何故か一個余っている。
「ひとつ残ってるで」と僕。「ええんちゃう?喰っても」とO君と分けて食べてしまった。
食事が終わるとリハーサルだった。
お兄さんが譜面を配る。ふ、譜面...
自慢じゃないが、その頃の私は譜面のふの字も読めなかったのである。今でも読めんけど。
我々の聞いたことも無い曲ばかり。「時計をとめて」「爪」...
”ムード歌謡”というジャンルだろうか。今俯瞰から見れば立派な”汚れ歌謡”だと分かるけど。
かろうじて知っていたのは「そっとおやすみ」くらいだった。布施明でね。
複写された譜面の原本の持ち主がコードを書き添えてくれていたのが救いだった。
私とO君はなんとかkeyと流れだけは把握し、恐る恐る伴奏のようなものを紡いだ。
汚れの弟もまた汚れ...K君だけは初見にも関わらず、よどみなくピアノの鍵盤を波打たせていく。
なんてリリカルな表現をする余裕はその時には微塵もなかった。
リハーサルの途中でお兄さんが「あ、そうそう、今日ゲストの人の伴奏も頼むからね」と言う。
「えっ?ゲストの人って...」
その時、突然背後の楽屋から恫喝の声が響いた。
「だ、誰やっちゅうねん!ワシの弁当喰いよった奴は!いやしかし正味の話、お・こ・るで!」
数時間後、横山やすしの後ろで「俺は浪速の漫才師」をオドオドと演奏する我々の姿があった。
今眼を瞑り俯瞰でシーンを再現してみると、演奏するO君と私の頭にタンコブのようなものが
見えるのだが、そんなコントみたいなことはなんぼなんでもないよなあ。
でも横山のやっさんやからなあ。
横山やすしの弁当を食って頭にタンコブを作られる青春なんてどないだ?
その後も我々はABCラジオの「ヤングリクエスト」でまだ自前だった(?)キダ・タロー先生が
仕切っていた「ミキサー完備スタジオ貸します」というコーナーに出演したり、
ロータリークラブだかライオンズクラブだかの忘年会のダンパに雇われていき、
同じ曲を「早いバージョン」「ミディアム・バージョン」「遅いバージョン」と使い分け
三曲として披露するという、名付けて「水増し演奏」でギャラをせしめるなど、
若き私とO君は若気の至りの限りを尽くすのであった。
ちょうど今頃の季節、我々は大阪駅前富国生命ビルの屋上ビアガーデンのステージに立っていた。
仕事を回してきた事務所の名前は「ジュテーム企画」...
三日目くらいにジュテームの社長が大阪駅で家出娘を拾ってきた。
色白だが眉の濃い東北訛りのその娘は、その日のうちにちっぽけなビキニを着せられて
お立ち台でたどたどしくゴーゴーダンスを踊った。若い頃の伊佐山ひろ子に似てた。
その傍らで我々はとりあえず楽器を鳴らした。
突然雨になるとビアガーデンの客は蜘蛛の子を散らすように帰ってしまう。
雨に濡れたテーブルの上には客が喰い残したポテトやフライドチキンや枝豆が...
若いって素晴らしいと誰もがいうけど、ターンバックして自分を俯瞰で見る私の青春は
少なくとも素晴らしくはない。金もなくいつも腹を空かせていた。
おい、お前ら!他人の残飯を食うなって!ビールも雨で薄なっとるやろが。
ほんまにお前ら汚れとるなあ。若気の至りで済まんぞ。音楽はどないなっとんねん。
なにがやっさんやねん。なにがキダ・タローや。なにがジュテーム企画や。ええ加減にしなさい!
でもやたら楽しそうやなあ。お前らそれで幸せなんか?幸せやないって?
そしたらなんで笑てんねん?どう見ても楽しそうやんか。
不思議な季節である。若いって。