エピソード87 納涼奇談 THE MIDNIGHT SPECIAL

深夜、男性ふたりで車にのって夜道を走るとき、注意していただきたい事がある。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの"THE MIDNIGHT SPECIAL"を
決してB.G.M.に選ばないでいただきたいという事である。
私は金森幸介と同乗しているときも、BEST of C.C.R.のこの曲だけはスキップする。
都心ならばまだしも、郊外の暗い道路を走る際には厳守していただきたい。
さもなくば、あなた、いやあなた方は必ず奇怪な出来事に遭遇するだろう。

思えば最初から不思議な夏の夜だった。
僕らの車が行く山道はドロリとした墨汁を零したように鈍重で
見上げた山の端は濃紫色の夜空をトリミングして現実感をまるで感じさせなかった。

年下の友人S君が突然我が家にやって来たのはその日の夕刻だった。
車を買ったのでそいつでドライブしようというのだ。
その当時、珍しかった電動サンルーフが装備されたその車で
僕とS君は勇んでドライブに出かけた。
時は深夜。柏原市の山中のワインディング・ロードを軽快に飛ばした。

運転手はS君。僕は助手席で過ぎ行く景色をボーっと眺めていた。
道の左右は柏原名産のブドウ畑で、ポツン、ポツンと街灯が路傍を照らしていた。
いくつものコーナーを走りぬける山道。
我々はくだらない会話を交わしながら、カーステレオから流れる音楽に耳を傾けていた。
流れていた曲もはっきりと覚えている。僕はサビ部分を口ずさんだりもしていた。
♪Let the midnight special shine a light on me
 Let the midnight special shine it's ever lovin' light on me
 

人里からかなり離れると微かに霧が山中を流れ出し、明らかに気温も下がった。
何個目かの右カーブをすり抜ける刹那、僕の目は信じられない光景を捉えた。
あまりに非現実的な光景に、脳がとっさに思考を回避しようとした。
「錯覚、錯覚」心の中で自分に言い聞かせた。
運転席のS君を見やると、何事もなかったように前を見据えハンドルを握っている。
やっぱり僕の見間違いだったに違いない。
数分間、ぎこちない車内の空気を無言で空走させながら車は前進した。
どうにも拭えない蟠りが心に残る。意を決してS君に
「あのさ、さっきのカーブで...」と言いかけた僕を制するように、
「やっぱり、hiroさんにも見えた?」

瞬間二人ともに胸が凍りついた。
お互い、心中に恐怖を感じながらも沈黙していた数分間が怖い。
ああ、錯覚でも見間違いでもなかったのだ。
二人が二人して奇妙な光景を見てしまったようだ。
しかし、それでも確信は持てない。恐怖は感じるが、好奇心はそれを凌駕した。
とりあえず引き返して確認することにした。

件のカーブに引き返してみると、やはりそれは現実の物として存在した。
車のライトをハイにして照らし出された空間はそこだけがなぜか杉林であった。
道路から3mほど下、まっすぐに林立する杉の木の間に
なんと真っ赤な車が垂直に立っているのである。
辺りにタイヤの焦げた匂いが立ち込めている。
あまりに不可思議な光景を前に声も出ない我々。
無言のままS君は逃げるようにアクセルを踏み込んだ。

人里近く逃げ帰り、自動販売機の灯りの側に車を止めた。
我々は今目撃したことの一部始終を頭の中で整理しようと勤めた。
しばらく冷静に考えると、もしかしてこれは単にスリップ事故の
目撃者になったんやないの?という結論になった。
我々は超腰抜けではあるが、超モラリストでもある。
もしも今事故ったばっかりで、車中に怪我人が乗っていたら...
助けなアカンやないの。なんとかしなアカンやないの。
でもやっぱり超怖がりの我々。もう一度あの現場に戻る勇気はない。
さて、どうしよう?
近隣の八尾市に住む共通の友人、T君を呼ぶことにした。
T君とは我々が「隊長」と呼ぶほど勇気のある男である。
というか、無鉄砲というか、無神経というか...
とにかく今のこの状況を打破してくれるには最適財というしかあるまい。
深夜の呼び出しにも関わらず、疾風のように現われてくれた。
やはり頼りになる男である。トックリセーターが田村正和の次に似合う男。
現場に着くやいなや、恐怖など微塵も感じさせず、林に降り立ち、車に近づいていく。
どうやら人は乗っていないようである。ひと安心。
20年以上も前のモデルのブルーバードだが、不思議なことに車体にはキズひとつない。
まるで新車のようである。
しかし、タイヤの焦げた匂いの生暖かさは、事故直後を物語っている。
じっくりと観察しても、どうなって直立したのか分からない。
なんと杉の木に寄りかかることなく自立しているのだ。

とりあえず麓まで下り、交番に行って報告することにしたが、
あいにく、警官は出払っており、無人の交番の中の電話で本庁に連絡した。
事の次第を告げたが、「あ、はい..わ、分かりました..ご苦労様」と
奥歯に物が挟まったような返答。詳しい場所も尋ねない。
まるで「また出たか...」とでも言いたげな様子であった。

時空を越え、我々の前に姿を現した杉林の真っ赤なブルーバード。
今思うと、恐怖体験というよりも、史上最低の映画監督エド・ウッドがでっち上げた
SF映画のキャンプなフィルムの中に迷い込んだような感覚にとらわれる私なのである。
しかし、現実の物体としてブルーバードは存在したのは事実だ。
今も"THE MIDNIGHT SPECIAL"を聴くたびにあの山道の空気が甦る。
もう三十年ほど昔の出来事である。
スピルバーグらのオムニバス・ムービー”トワイライトゾーン”のプロローグで
深夜の車中で"THE MIDNIGHT SPECIAL"を聞いていたダン・エイクロイドらに起こる
奇怪な話が公開されたのは、それから数年後のことであった。
 
因みにヴァン・モリソンの"MIDNIGHT SPECIAL"にはそういう因縁話は聞かない。
今も森に妖精が棲むアイルランド系には免疫があるのかも知れない。