エピソード90 メガネ君の半世紀
私は小学校三年生からメガネを着用しています。
なんと半世紀もメガネと共に生きてきたことになります。
メガネ君としての私の学校生活はあまり輝かしいものではなかった。
当時はまだメガネをかけた子どもは少なかった。ほとんどクラスで私一人だった。
とにかくあの頃、メガネというものの印象は芳しいものではなかった。
というか、メガネ着用者はとことん忌み嫌われていたといっても過言ではない。
テレビの「番頭はんと丁稚どん」にて大村昆が演じるメガネで五厘ハゲの丁稚昆松は
アホでデクノボウの役立たずというキャラクターだった。
ズボラで運動オンチで自堕落なのび太もメガネ着用者だったし、
クリプトン星からやってきた正義のヒーロー、スーパーマンも
普段は地味で気弱な新聞記者クラーク・ケントに身をやつしていたが、
彼も大きなセルフレームのメガネを愛用していた。
メガネはキャラクターをネガ方向にシフトするのに絶好のアイテムだったのである。
少女マンガの根暗のブス少女はメガネを外した途端、周りにお花畑を従えた
キラキラ美少女に変身して、ハンサム君にプロポーズされるのである。
そんな状況の少年期、青春期をメガネ君の私は過ごしてきたのである。
当然女の子にモテるなど夢のまた夢。これで青春を謳歌できたら立派なM男君である。
私の眼にはコンタクトレンズはあわないと診断され、レーシック手術なんて気の利いたものは
当然まだ影も形もなかった。
とにかく私にはメガネに対して良い思い出がない。
高校の卒業記念に新しいメガネを親から買ってもらった。
ミナミの百貨店の眼鏡売り場で視力を測定し、二日後に引き取りに行く段取りだった。
しかし私のメガネは翌日、百を超える人命と共に焼滅した。千日デパートの火災で。
メガネのせいで私のこれまでの半世紀はまさに「超モテない君の半生」であった。
父親もメガネ着用者であったが、彼の時代は「ロイド眼鏡のハイカラ紳士」などと
メガネはけっこうモテはやされていたらしい。
不幸にも私の世代が「メガネ君受難の時代」のド真ん中であったのである。
今更恨みを訴えるつもりはないが、持って生まれた遺伝性近視に愚痴の一つも言いたくなる。
なんせ私の人生はモテない人生だったのである。メガネのせいで女性に縁の無い人生だったのである。
私の人生など無かったに等しい。NO WOMAN NO LIFEである。
この夏先から金森幸介が普段の生活でメガネを着用し始めた。
私は心中ほくそえんだ。「ヒヒヒ、これでお前もモテない君のお仲間入りじゃ。ザマみさらせ」と。
しかし私がイヤというほど煮え湯を飲まされ続けてきたこの半世紀の間に
世間のメガネ事情は一変していたのである。
メガネをかけた魔法使いの少年は女性たちから「ハリー、カワイイ~ッ!」とモテはやされ、
韓国のメガネのプリンス、ペ・ヨンジュン氏などは「様呼び」待遇である。
メガネかけ幸介は幸運にもメガネ福音の時代に遭遇したのである。
ザ・グラッシーズ・エヴァンゲリオンである。なんのこっちゃである。
しかも金森幸介はヨン様をスポンサードする眼鏡店で誂えたというではないか。
「ヨン様の威を借るエロ男」と呼んでやりたい。
先日久しぶりに金森幸介と会い、メガネ姿を始めて見たが、
本人が「安物の書生みたいやろ?」という割には似合っている。インテリジェンスが増した気もする。
私は悔しい。
そこで私もマネして、同じ「眼鏡市場」でヨン様モデルをオーダーして入手した。
早速ニュー・メガネを着用して意気揚々と鏡を覗いた・・・・・
昔から日本のオヤジたちは「メガネ・デブ・ハゲ」の三拍子揃いで揶揄されてきた。
ワールド・ワイドに徹頭徹尾モテない君の称号を欲しいままにしてきた。
確かに時代とともにメガネのダサいイメージは福音へと導かれた。
しかし「嫌われオヤジの一生」のすべてが福音を受けたわけではない。
この半世紀、私のカラダは他のオヤジ二拍子をしっかりと刻んできたのである。
鏡にはヨン様眼鏡をかけ、ポッコリ下腹に頭頂部が薄らハゲた
ステレオタイプ・ジャパニーズ・オヤジがうつっていた。
余生四半世紀を三国連太郎かセルジュ・ゲンズブールの線でいこうと決めていた私に
「この際、オカマにでもなったろかい」と真剣に思わせる台風の迫る秋の夕暮れであった。