エピソード91 おいでやす京都
秋も深まる頃には古都京都は観光客で大賑わいになります。
でも僕の半生の京都での思い出にはすべてトホホが絡んでいるのであります。
北白川のライブハウスC&Cでの切ない出来事はEPISODE89で既にお聞かせした。
大宮の老舗ライブハウスJでは、楽器搬入中のほんの数分間、店の前に駐めておいた
機材車二台を京都府警によって見事にレッカー移動された。
交番で事情を話し、温情を乞うたが、顔はにこやかだが心は笑ってはいない警官は
はんなりと超事務的に反則切符を切った。
このとき僕は思い知ったのである。京都人は排他的である。
観光が重要な産業でありながら、他府県ナンバーには容赦ない。
京都人は”いけず”で”しぶちん”である。
その上、京都が一番だと自負している。まるでEUでのフランス人のようである。
京都人の家で「まあ、ぶぶ漬けでもおあがりやす」と勧められたときには
「早よ帰らんかい!」と言われたと理解すべきなのである。
レッカー代と反則金でその日のギャラなど軽く足が出てしまったのは言うまでもない。
演奏を終えた帰路、枚方バイパスを走行中、カーラジオでエルヴィス・プレスリーの死を知った。
京都はエルヴィスにまでいけずだった。
「いけず」とは大意で「意地悪」と同義だが、少しニュアンスが異なる。
「しぶちん」とは大意で「けち」と同義だが、これまたそこに「まったり」が加味される。
テレビCMに従業員を出演させ「わてら、あそこのもんでんねん」などと言わせて
制作費を浮かせるというようなちょっとお茶目な経費削減体質が「しぶちん」の真骨頂である。
「♪ほんに先斗町のいづもやへ~」
ガイド掲載を拒否してミシュランにいけずした京都の料理屋が数軒あったそうだが、
こういうのはなかなかに痛快ないけずである。
初めてのマイカーであったオンボロ・カローラクーペはその屋根にコントラバスを載せて
四条烏丸交差点の真ん中でエンスト。そのまま還らぬ人、いや車になった。ぅも~、いけず~
円山公園野外音楽堂での思い出はTHE MELLOWがらみである。
確か春の連休だったと記憶しているが、金森幸介&THE MELLOWは円山公園野外音楽堂での
コンサートに出演した。しかし、出番が迫っているというのにドラムのK君が到着しない。
メンバーは焦った・・・かと言うとそうでもない。超大所帯バンドのTHE MELLOWである。
一人二人抜けてもどうってことはないのである。しかもTHE MELLOWはツイン・ドラム。
もう一人のドラマーであるM君はちゃんと来ているので問題はあまりない。
そのまま無事演奏を終えてメンバーは京都を後にしたのである。
問題はないので、K君には誰一人なんの連絡もしなかったのである。まるで忘れていたのである。
K君はコンサートの日を一日間違えていたのである。
翌日、人っ子一人いない円山公園野外音楽堂に佇むK君はなにを思っただろうか。知る由も無い。
京都は名門大学が軒を並べる学生の町である。
先日の衆院選のさなか、金森幸介が言った。「候補者の最終学歴が東大やら京大やったら
とりあえずマトモな人やっちゅう気がするよな」と。けっこう学歴重視派なのである。
確かに、とりあえずはそんな気もする。
大阪出身で京都大学卒の作家いしいしんじの作品を僕は好んで読む。
テレビドラマ化された「鹿男あをによし」の原作者である万城目学も大阪出身、京大卒である。
彼のデビュー作である「鴨川ホルモー」は京都に実在する四大学の学生が繰り広げる
てんやわんやの物語であるが、かつて金森幸介が通った大学も登場する。
金森幸介の場合、相当大学が性にあったらしく八年間も在籍したというのだから
京都での学生生活を満喫したと思えるのだが、八年目に「とっとと出て行け!」と
裏口から塩を撒かれて放り出されたらしい。
「裏口入学」はよく聞くが「裏口退学」は初めて聞いた。
金森幸介はアホなお坊ちゃま君だった小学生時代、課外授業で東山の知恩院に行った。
元来お調子者だった幸介少年は有名な鴬張りの廊下をイチビって走り回り
担任のクラモト先生に思いっきり叱りとばされたのである。ほんまにマヌケなガキである。
しかし、時の移ろいは人間の想像力を遥かに超えた変化をこの世にもたらす。
来る11月19日、金森幸介はかつてアホでマヌケな幸介少年として顰蹙を買った知恩院で
歌と演奏を披露することになったのである。浄土宗総本山の名刹である。
境内のいたるところに国宝、重文が溢れる古刹にハナ水を垂らして鴬張りを走り回った
海抜ゼロメートルの此花区民であった無知蒙昧バカ息子が凱旋帰院(?)を果たすのである。
大学を石もて追われるが如く放り出された万年留年生が第二の故郷に錦を飾るのである。
国宝指定の荘厳な伽藍で国賊指定の非生産性のボンクラが演奏するのである。
もはや生き仏様である。隣の人間国宝である。
円広志か月亭八光に取材してもらいたいくらいである。
ついでに「小枝不動産」のシールも貼ってもらいたいくらいである。
金森生き仏様のありがた~いお歌を聞かせていただく為に我々はチャージ代とか入場料とか
そんな俗にまみれた汚れた支払いなどしてはいけない。
金森・即身仏・幸介様にひと目おめもじするのに我々が奉げるのは「拝観料」である。
鴬張りでミミズ腫れが出来るほどムチでシバかれ、大学の裏口から小便をかけられ放り出されと、
彼もまた京都にいけずされ続けた男であった。
水色の風に乗ってきてから幾星霜、宝塚のセンセイを経て、ついに金森・色即是空・幸介は
千年の都、京都の民に拝観されるまでに至ったのである。
思うに、50+1ライブという千日回峰行にも通じる荒行を二度に亘って成し遂げるという
偉業達成が比叡山の大天狗にでも認められた結果ではないだろうか。とにかく合掌
十代の終わり、僕は十二月の京都で初恋の女性と別離れた。
寒さに震える夕暮れの街にはクリスマス・ソングが流れ、買い物客で賑わっていた。
最後のときは河原町通り沿いにあった「丸善」の店内だった。
なぜそんな所が最後の場所になったのか、今となっては思い出せない。
「丸善」は梶井基次郎の短編小説「檸檬」にも登場する洋書、舶来文具の老舗である。
そういえば梶井基次郎も大阪に生まれ、京都大学の前身である三高で学んだ作家である。
丸善の店内で購入したクリスマスカードに最後のラブレターを書いて僕は彼女に手渡した。
バーバリーのトレンチコートのポケットにカードを押し入れると、
彼女は僕を促すように出口に向かった。外にはもう夜の帳がとっぷりと降りていた。
店を出た河原町通りの歩道で僕たちはさようならを言った。
いや、正確には彼女だけが言ったのかも知れない。
コートのポケットに両手を入れ彼女は右方向に、お姉さんが住む三条方面に歩き出した。
一度も振り返らずに遠ざかる彼女の後姿が人ごみにかき消されるまで僕は立ち竦んでいた。
小さく溜息を漏らし、意を決した僕は振りむき、彼女とは逆に四条方面へと歩き出した。
ふと顔を上げると舞い始めた粉雪の向こうに、河原町通りを挟んで聳える
阪急百貨店と高島屋のイルミネーションが煌いて見えた。
瞬間、身体中の切なさが込み上げてきて煌きが滲んだ。
僕はVANのダッフルコートのフードで顔を隠して呟いた。「京都のいけず!」と。
家路を急ぐ人波の中、僕は大阪行の駅へと向かった。
とまあ、そんないけずでしぶちんな京都の町ですが、
金森幸介も僕もけっこう好きなのかも知れません。