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エピソード92 Welcome back and Long goodbye

これまで何度もここに記そうとして、その都度躊躇して断念した物語があります。
それは金森幸介がこういう話を人に聞かせるのがきっと好きではないからです。
だから今回ここに記すことで彼は気を悪くするかも知れないし、
もしかすると私は彼に叱られる羽目になるかも知れません。
でも冬が冷たい爪をこの町に伸ばし始める季節の到来に
今私はこの切なく哀しくも暖かな物語を語らずにはいられないのです。

金森幸介の自室には二本のアコースティック・ギターがある。
一本はいつでも手にとれるよう、ギタースタンドに立てかけられている。
いつも彼のステージでお馴染みのMARTIN社のD-18である。
もう一本は取っ手の壊れた古びたハードケースに収められている。
これも同じく旧い年式のMARTIN社のD-18で、二本はまるで一卵性双生児のようだ。

金森幸介&The Mellowはツイン・ドラムのとにかく大所帯ということで名を馳せたが、
初期のMellowはメンバー全員アコースティックギターを弾くアンプラグド・バンドだった。
Y君は初期の頃からのThe Mellowのメンバーであった。
当時めぼしいギターを持っていなかったY君は、金森幸介所有の一卵性双生児D-18のうちの
一本を借りて使用していた。
金森幸介&The Mellowはまるで山田風太郎の忍法帖みたいに次々とメンバーを増殖させていった。
「来る者拒まず」がひとつのポリシーだったのかも知れない。
その中で唯一バンドを去ったメンバーがいた。Y君であった。
「去る者追わず」もまた片方のポリシーだったのかどうか分からないが、
とにかくY君はいつの間にか&The Mellowからいなくなった。
彼と金森幸介との間になにか問題が発生したのか、
それともなにもなかったのか、それは私には分からない。
二人は同じバンドのメンバーである前に互いに信頼しあう友であったのは事実だ。
でも二人は袂を分かった。

Y君がバンドを去ってからというもの、彼と金森幸介が会うことはなかった。
The Mellowはその後、世間の常識を大きく覆した大所帯バンドとしておバカの限りを尽くしたが、
Y君が我々の目の前に現れることはなかった。いわば音信不通になってしまったのだ。
風の噂で大阪から遠く離れた町で暮らしているとも聞いた。
私は人事ながら気になっていた。Y君は金森幸介のギターを持ったままいなくなってしまったのだ。
ことあるごとに私は金森幸介に言った。「あのギター、返してもらわんでいいんか?」と。
その都度金森幸介は「まあ、いつか帰ってくるやろ」と涼しい顔を私に返した。
ライターの火を借りる度に「50円な」と請求してくるほどのしぶちん男が、
希少で高価なヴィンテージギターを借りパクされるかも知れんのに平気なんかい!
と輪をかけてしぶちんな私は訝しがった。
音信不通とはいっても、本気になって知り合いを辿れば、Y君の所在を探すことは
さほど困難なことではなかったからである。

時はまさに矢のように過ぎ去った。
Y君が我々の、そして金森幸介の前から姿を消してからもう十年が過ぎていた。
The Mellowも活動を停止して既に数年が経過していたある冬の日、
我々のもとに思ってもみなかった訃報が届いた。
Y君のものだった。
最近関西に戻ってきていたらしいが、非常に弱っていた健康状態をおして氷雨の中仕事に出かけ、
肺炎をこじらせて帰らぬ人となってしまったという。
一報を受けた金森幸介の憔悴はもちろんただならぬものだったと思う。
しかし元来が意地汚い私は心の中で思った。
「ほら、言わんこっちゃない。これでギターも帰って来えへんがな」と。
ほんまに私はヒトとしてヒドイ奴である。

ふた月ほどの時が過ぎ、冬将軍はその年最後の寒波を町に吹き散らしていた。
自宅にこもっていた金森幸介のドアを叩く者がいる。
扉を開けると、そこには頭と肩と眼鏡に雪を積もらせた光玄氏が立っていた。
黒いギターケースを小脇に抱えている。それにも雪は積もっていた。
その取っ手の壊れたギターケースに金森幸介は見覚えがあった。
Y君に貸していたD-18だった。

部屋に通された光玄氏はギターケースを床に置くと上着を脱ぐ間もおかず語り始めた。
「これ、Yさんの奥さんから託ったんですわ。幸介さんに返して来て下さい言うて...」

金森幸介と光玄氏は今はもうこの世にいない友人が返してよこした物を言葉も無く眺めた。
ケースの上の雪はストーブの熱で融け、床に涙のように滲んだ。
二人は静かにギターケースを開けた。そして息を呑んだ。
中のD-18は眩いほどに磨き上げられ、ボディーには曇りひとつなかった。
小物入れには「KOHSUKE KANAMORI」と刻印されたピックが三枚、
きちんとビニール袋に入れられて収まっていた。
きっとY君は生前、いつでも金森幸介に返すことが出来るようにギターをケアしていたのだ。
遂にそれは叶わなかった。
でもその思いは共通の友人光玄氏によってしっかりと届けられたのである。

金森幸介の部屋に双子ちゃんのMARTIN D-18が再び仲良く並んだ。
フィリップ・マーロウは「さよならを言うのは、すこしだけ死ぬことだ」と言った。
逆を言えば、永遠の別れと対峙した時、残された者はさよならを言えないのだ。
金森幸介は帰ってきたギターに語りかけた。

おかえり そして さよなら
    

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