エピソード95 ちがう言葉 lefty-hiro純情編

最近めざましくご活躍されている金森幸介先生でいらっしゃるので
私のような下賎のおめもじなどなかなか叶わず、したがって新しいエピソードのタネもなく、
かといって、このまま黙したまま年を越してしまうのもあまりに愛想がないような気もし、
けれども金森先生の至言である「誰もベースなんか聴いてへん」と同様に
「誰もこんなreportなんか見てへん」のもまた然りであり、重ねてこのクソ忙しい師走に
路傍の石の戯言に耳を傾けてくれる好事家などおられるはずも無く、而してなにを書こうが
大勢にはまったく影響ないのであって、ということはいっそ好き放題書き連ねてやろうかしら
とも思うけれど、昨今の言動挙動が傍若無人かつあまりにもつまらないということで
金森幸介先生から流派破門の言い渡し寸前の我が身であるからには、今回は今までの
先生への数々の非礼無礼を深く反省し「面白みのない男」と呼ばれ続けて早や半世紀、
lefty-hiroことわたくし自身のinsideを赤裸々にreportしてみたいと考えた。

まだ若さに溢れた二十歳そこそこの頃の話である。
ある夏、僕は当時のバンド仲間だったT君とその彼女、
そして彼女の大学の学友である女子数名と志摩半島方面の海に遊びに行った。
我々はけっこう意気投合し、その後何度か街に集合して遊んだ。
ミナミの御堂筋と四ツ橋筋に挟まれた区域が”アメリカ村”なる名で呼ばれ始めた頃で、
"POINT AFTER"やcafe"palms"が我々の主な遊び場だった。

T君の彼女はとんでもないお嬢様学校に通っていたので、その友人たちもまた
皆とんでもないお嬢様ばかりであった。
そのお嬢様の中の一人が、物好きにも僕に好意を持ってくれているらしいことに気付いたのは
もう冬が目前に迫った11月の終わりだった。
その日も仲間たちと土曜日のけっこうな深夜に"palms"に集っていたのだが、
一人離れてピンボール・マシンに興じていた僕の傍らに彼女が近づいてきて、
バドワイザーのボトルをマシンのガラス面に置くと小さな声で囁いた。
「hiro君、今度デートに誘ってくれない?」
なんだか片岡義男的な展開になってきたので、ちょっとlefty-hiroの本来に戻そう。
「誘ってくれない?頭巾」である。天童よしみもビックリである。
しかし僕は咄嗟に躊躇した。なぜなら僕にはその時ステディな関係の彼女がいたのである。
でも、”誘ってくれない?頭巾”にも一流企業社長の御曹司で関学アメフト部の花形QBという
まるで若大将と青大将を足して2で割ったみたいな彼氏がいることを知っていたので、
「まあ、食事くらいだったらいいか」とデートの約束をしてしまった。

12月に入ったちょうど今頃に僕らは夕食を共にすることになった。
アルバイト先のP.A.会社で借りた機材車のハイエースを駆って僕は彼女を迎えにいった。
待ち合わせ場所の夕間暮れに立つ彼女の姿を発見して、僕は呆然としてしまった。
フェラガモの黒のパンプス、黒のフレア・パンツには大きなバックルの付いたグッチのベルト
シルクジョーゼットの黒のブラウスには控えめにスパンコールがあしらわれている。
しかもブラウスは弱シースルーで、し、下着がほんのり、す、透けてまんねんやでえ。
極めつけはシルバーフォックスファーのハーフコートである。
ビバリーヒルズの高級ブティックのショーウィンドーもかくやと思わせる装いである。
かたや、その日の僕のいでたちといえば、くたびれたレッドウィングに擦り切れたリーバイス
脂のおちたピーターストームのオイルド・セーターに
米軍放出品のフライト・ジャケットN-3Bというラインアップである。
天下茶屋のアメリカ衣料のショーウィンドーもかくやと思わせる装いであった。

彼女は僕がそれまでイメージしていた以上にグラマーであった。
今で言うナイス・バディーというやつである。
彼女はそれまで意識しなかったのが不思議なくらいボインちゃんであった。
今で言う巨乳っちゅうやつである。今でも言わんっちゅうねん。

ムクムクと湧き上がるリビドーを抑えつつ、僕は車に彼女を乗せ高速道路を一路北へと走らせた。
当時箕面の寂れた場所にあったフレンチ・レストランで食事をした。
「マレーネ・ディートリッヒの慰問に喜ぶ前線兵士」みたいな不釣合いで珍奇なカップルを
店の客たちは好奇の目で見ていたが、少々気後れした僕とは対照的に彼女はとても
リラックスしていた様子で、僕の冗談にもよく笑ってくれた。
暖炉の前でピアノ弾きは少し気の早いクリスマス・ソングを奏でた。

食事を終え、再び車に乗って高速道路を南下した。既に夜は更けていた。
伊丹空港の横を通り過ぎる箇所のみ阪神高速道路池田線の照明は路肩の両サイドから照らす
オレンジ色のスポットになる。着陸機が滑走路の誘導灯と見間違わないようにとの配慮だと思うが
夜のこの場所を通過するのは何故か切なく美しい。
リリースされたばかりの"Late For The Sky"のカセットをカーステレオに入れた。
その時、彼女が僕の左肩にそっと寄り添ったことを感じた。僕は思った。
「このオンナ、イケイケちゃうのん。こうなったら今夜は不純異性交遊一直線ちゃうのん」
"The Late Show"が流れていた。若きジャクソン・ブラウンはそんな僕の
バーニング・エロデザイアを快く許してくれたと思う。多分。

と次の瞬間、ハイエースが走行バランスを突然失った。ハンドルが右にとられる。
咄嗟に危険と察知した僕は数十メートル持ちこたえ、非常駐車帯に車を滑り込ませた。
降りて点検してみると、右後輪が見事にパンクしていた。
まだチューブレス・タイヤが一般的でなかった当時は頻繁にパンクをしたものだった。
仕方なく彼女を車中に残して、僕はスペア・タイヤへの交換作業に取り掛かった。
ジャッキアップしてパンクしたタイヤを取り外していると、突然雨が落ちてきた。
十二月の冷たい雨だった。
夢の不純異性交遊ナイトに水をさす無粋な突然の降雨に僕は怒りを覚えた。
「邪魔をしないでよ 私たちこれからいいところ」と。
ペッパー警部並に気の利かない氷雨に打たれて指は凍え、
N-3Bのフードを容赦なく雨粒は滑り落ちた、
「クッソ~!パンク直ったら”ゴールデン・エンペラー”に直行したんねん!
(注 当時”仔犬のおさんぽ”などという草食系のホテルはどこにもなく、ラブホテルとは
すべからく肉食系、絶倫系、身も蓋も無い系の独壇場であった)
ほんでもって、あんなこともこんなことも・・・
とにかくこの世にあらん限りの桃色遊戯に耽ったんねん!」


次の瞬間、今まで強く身体中に降りつけていた雨が急に途絶えた。
でも傍らを走り過ぎる車のヘッドライトに照らされた空間は相変わらず激しい雨に煙っている。
不思議に思って顔を上げて振り向くと、僕の背後から傘をさしかけて彼女が立っていた。
小さな傘は僕をカバーするのが精一杯で、彼女自身はまるっきり雨に濡れていた。
ン百万はするだろう誇り高きシルバーフォックスもすっかり濡れネズミと化していた。
そんな彼女を眩しく見上げながら「いいから、中で待ってて」という僕の言葉に彼女は
「だいじょうぶ」と応えて微笑んだ。

タイヤ交換を終え車中に戻ると、彼女が黙ってエルメスのスカーフを手渡してくれた。
これで濡れた身体を拭けということだろうけど、素材がテラテラだし、勿体無くもあるし
僕は少し鼻の頭を拭う振りで、ほのかに香る甘いパフュームを感じて彼女に返した。
雨に濡れて髪のカールがすっかり落ちた彼女の微笑みはなんだかとても幼く見えた。

結局僕はその夜、不純異性交遊も桃色遊戯も為すことなく彼女を自宅まで送った。
立派な家の立派な門の前をすこし通り過ぎて僕はハイエースを止めた。
助手席のドアを開ける直前に彼女は「・・・hiro君、クリスマスはどうしてるの?」と訊いた。
僕は「・・・バイトやねん」と嘘をついた。

その夜以来、僕は彼女と逢っていない。
若き僕の内なるリビドーはそれからしばらく「やっぱ桃色遊戯に耽ったら良かった~!」と
時々は後悔もしたようだが、おおむね「あれで良かったんだ」という結論のようである。
あの夜、もしパンクに遭わなかったら、もし彼女が僕に傘をさしかけてくれずに
車中で平然と待っていたら、僕はきっと彼女と一夜を共にしたと思う。不純異性交友したと思う。
桃色遊戯に耽ったと思う。あんなことやこんなこと、陵辱の限りを尽くしたと思う。
でも僕はそうしなかった。
きっと僕は彼女に恋をしたのだ。いや、自分が濡れるのも厭わずに傘をさしかけてくれた
彼女を見上げた瞬間、僕は彼女との恋の入り口に立ってしまったのだ。
でも僕はその扉を開けなかった。
恋心とスケベ心は多くの共有部分を持っているけれど、根本的にベクトルを異にしている。
僕はステディな彼女の扉を既に開けていた。その扉を開けっぱなしにしたまま
また別の扉を開けることは僕にはできなかったのだ、きっと。

あれからもう三十年余の月日が過ぎ去り、私のリビドーもすっかり枯れ果てた。
陽だまりの座卓の前に腰掛け、日がな般若心経の写経に勤しむ毎日である。
時折渋茶を啜りながら彼女は今、どうしているのだろうと遠い目になる。
きっとどこかのお金持ちと結婚して、優雅なセレブ熟女になっていることだろう。
たった今、この瞬間「セレブ熟女」という文字を打ち込んだ瞬間、
「やっぱ惜しいことしたかな。やっぱ素直にやっとくべきやったかな」と
悔やんだりするlefty-hiro 五十五歳の冬の日である。

もしも できるなら あの日に 戻りたい
同じ場所 同じ時間 ちがう言葉で口説きたい

あかん、完全に破門や。