エピソード97 暗夜航路 lefty-hiro越年編

あんまりいい話を聞かなかった一年でしたが、もうすぐ終わりを迎えます。
まあ、年を越すといってもなにが変わるわけでもありませんが、
なんとか良い変化を期待するのは人情というものではないでしょうか。
ここ数年の金森幸介の越年といえば、神戸の海岸べりのハードボイルドなお店で
光玄氏、岩佐均氏、tambourine man氏という仲良しこよしだよしこさんたちと
越年ライブをおこなっております。二年越しで歌うという仕事熱心なセンセイであります。

「年忘れ」「忘年」といった言葉を聞くたびに、私は「忘れてどないすんねん!」と思います。
でも「忘れたくない印象的な一年だったので、私は忘年会に参加しません」というような奴は
きっと煙たがられるだけなので、黙って忘年していますが、
年数が変わっても決して”リセット”などという都合の良い希望は叶いません。
でも、どうしても忘れてしまいたいと願う一年だって人生には時として巡ってきます。
今回は二十歳の私の越年のお話です。長くなりますし、金森センセイも登場しませんので
よほどヒマを持て余していらっしゃる時にでもお読みいただければ幸せです。


二十歳の12月、僕は失恋した。よく失恋する奴である。
3年間を共に過ごした彼女からある日突然別離を宣告された。
僕はものの見事にコテンパンにされた。生まれて初めて味わった絶望感であった。
「若い頃はよかった」とよく聞くが、僕にはとてもそうは思えない。
あんなにも傷つきやすい季節に戻るなんてまっぴらゴメンだ。

何も手がつかない日が続いたある午後、友人から電話があった。
「知り合いの旅行代理店からの依頼で、大晦日から元旦にかけて客船で航海する
”カウントダウン・ツアー”の船内でバンド演奏してくれないか?」というのである。

いくら二十歳の若造とはいえ、そんなチャラけた営業仕事、普段の僕なら確実に断ったはずだ。
しかし、その時の僕はどうにかしていた。自暴自棄に陥っていた。
一瞬でも早く、失恋の痛手から立ち直りたかった。
海の上で新年を迎えるのも悪くない。そして初日を浴びて生まれ変わるんだ。
まさにワラにもすがる思いだった。引き受けてしまった。

大晦日の弁天埠頭には雪が舞っていた。
楽器を持って集まった面々は、ギターのO君、ドラムのT君、
もう一人のギターはシンクンであった。シンクンとは納涼奇談に登場したT君のことである。
実はシンクンは腕のいいギタリストであった。
腕はいいが、なんせ勇猛果敢な性格が玉にキズ。僕の胸にいや~な予感がよぎった。

乗船し、添乗員から説明を受けたが、想像以上のヨゴレ仕事だった。
ある企業の貸切ツアーのようで、我々はカラオケ、ダンスタイム、新年カウントダウン
などのBGMを受け持つらしい。
司会には無名の若手漫才師が同行していた。
充分にトホホな状況だが、その時の僕はまだ冷静だった。
冷たい自室で寂しく年越しをするよりはよっぽどマシだと自分に言い聞かせた。

夕陽を浴びながら桟橋を離れる船。カモメが見送るように並んで翔んだ。
別離れた彼女の住む大阪の街が遠ざかる。
僕は心の中で永遠の別れを告げた。明日には帰るんやけど...

行き先は安芸の宮島。明くる元日には厳島神社で初詣という寸法である。
夜の帳がデッキの上に降り、いよいよ宴会の始まりだ。
大宴会場に男女合わせて100人ほどがドレスアップして集合している。
鮮やかな水色のスーツを着込んだ漫才師が「明けましておめでとうございま~す!」
相方が「まだやがな。」とツッコむ。サッブ~い会場。ツカミ大失敗。
後ろでスタンバってる我々も苦笑するしかない。
よくよく聞いているとどうやら怪しいマルチ商法の会社のようである。
「~チーム大躍進!」などと拍手喝采が時々おこる。

後悔が頭をよぎる。しかしここは船上。逃げ場は無い。後悔の航海...
カラオケ大会やダンスタイムはなんとか耐えた。しかし余興のメインイベントは...
なんと「野球拳」だった。
我々は演奏した。他に道は無かった。うつむき加減に...しかし哀しいことに出る音はご陽気だ。
突然、僕の魂が幽体離脱し、俯瞰から自分らを見ている。
隣でギターを弾くシンクンが見える。彼の1962年製ストラトキャスターは
「♪野球~す~るなら~こ~いう具合にしやしゃんせ~」と脳天気なメロディーを奏でている。
しかしたかが楽器とはいえ運命とは残酷である。同じギターとして生まれても
かたやエリック・クラプトンに所有されたストラトは”ベルボトム・ブルース”に”愛しのレイラ”
晩年はオークションでン千万円。かたや野球拳である。
しかしシンクンのストラトもピックアップセレクターはハーフトーン。さすがに職人、
どんな状況でも音質にはこだわっていらっしゃる。

会場はまさに無礼講。コンパニオンガールも参加し、下着まで取られバスタオル一枚で踊っている。
僕は失恋からの立ち直りに安易な道を選んだことを悔やんだ。
哀しみから逃げ出さずに自ら立ち向かうべきだったのだ。
しかし後悔まったく先に立たず。アウト!セーフ!ヨヨイのヨイ!

時計が零時を打ち、新年を迎えて宴会は終わり、我々は解放された。
我々はあてがわれた船室に集合し、支給された折り詰めを肴に酒を飲んだ。
僕はアルコールを飲まない。でもあの夜だけは無性に酔いたかった。
しかし、ビールに一口つけただけで身体が受け付けない。
所在無く一人ピーコートを羽織ってデッキに出た。
星もない真っ暗な夜だった。洋上に遠く岡山あたりの灯りが見えた。
別離れた彼女のことも想ったかも知れないが、見事に記憶がない。
泣きたかった。けどこらえた。ひどく自分が音楽から遠のいたような気がした。
大きく潮風を吸い込んだその時、船室からのドアがバタンと開くと
「hiro!シンクン知らんか?」O君が慌てた様子で出てきた。

聞けば、かなりハイピッチで飲んでいたシンクンだったそうだが、
みんなが気がついた時には船室からいなくなっていたそうである。
手分けして船内を探した。悪い予感は的中した。
野球拳が彼の自尊心をそんなにも傷つけたのか?意外とナイーブな奴だったのか?
彼は失意の僕を気遣ってこの仕事に同行してくれたのだった。

デッキにはいない。動力室のドアも開けたが、グオングオンとエンジンが音を立てているだけだ。
変な気だけは起こすなよ。真っ暗な海面に目をやり祈った。しかしどこにもいない。

うちひしがれて部屋に戻る途中、トイレに寄り、顔を洗い、鏡で自分の表情を見た。
情けない顔だった。何もかもがイヤになったが、やはり涙だけはこらえた。
と、大便用の個室から音がする。
「オ、オエ、ウ、ウプッ」
も、もしかして...「シ、シンクンか?」 恐る恐るたずねる僕。
返事はない。ただ 「ム、ムヘッ、グ、グプッ」と嗚咽が聞こえるだけである。
意を決してドアを引くと、鍵はかかっておらず、尻丸出しの男が転がり出してきた。
シンクンだった。生存確認にホッとしたが、事態は深刻だった。
酩酊状態の彼の足元には引っ張り出した大量のトイレットペーパーがトグロを巻いていた。
しかも便器には大量の固形排泄物がこれまた見事にトグロを巻いていた。
「大丈夫か?シンクン、ズボン履けよ。」
しかし自分では何もできそうもない。パンツどころか、尻も拭いていないようだ。
僕は足元のトイレットペーパーを一掴みし、彼の尻を拭いた。
その時初めてこらえていた涙がこぼれ落ちた。

乗客が洋上の初日の出を拝む頃、僕とシンクンは船室でブッ倒れていた。
海上の紅い鳥居が見える安芸の宮島沖に船は停泊し、小型船に乗り換えて上陸した。
今や世界遺産に指定され、日本三景のひとつでもある宮島である。
初詣客で賑わう元旦の厳島神社に参り、目出度いんだか目出度くないんだか、複雑な新年を迎えた。
恋から見放され、野球拳演奏、極めつけに新年早々むくつけき男のシモを世話をする羽目になった
二十歳の私であったけれど、やはり忘れたくはない、それなりに輝かしい一年であった。

長くなりました。それでは皆様、良いお年を!