エピソード27 カイカブル

私lefty-hiroは高校2年の終わり頃、彼女にフラれました。いわゆる初恋でありました。 
同級生でしかもクラスメイトの彼女と大阪万博の夏に恋に落ちて1年半、別離は突然にやってきた。 
当時彼女の家があった新興住宅地の公園で、僕は別離の宣告を受けた。 
記憶は曖昧だけど、僕はきっと見苦しく彼女を繋ぎとめようとした。 
彼女の最後の言葉だけは今でも鮮明に覚えている。 
「hiroは私をかいかぶっているのよ...最終のバスが出ちゃうよ」 
僕にはそれ以上返す言葉もなく、バス停へひとり歩いた。既に最終バスは出た後で、駅までのバス通りを4、50分かかってトボトボ歩いた。下りの終電車の車両の乗客は僕ひとりだった。 

 

とにかく自宅に帰り着き、僕は広辞苑を開いた。 
実を言うと僕は「カイカブル」という言葉の意味を知らなかったのである。 
彼女の最後の言葉の意味するところを理解できなかったわけだけれど、切ない別離の場面で 
「ちょっとすんません、『カイカブル』ってなんスか?」と問うのも情緒に欠けるというものだ。 
話の流れからいって、ポジティブな意味合いがあるとも想像できない。 
僕は理解したフリをして彼女の別離を受け入れたのだ。 
「カイ カブル」なのか「カイカ ブル」なのかも分からない。 
「あずなぶ~る~聞きながら~この手紙を書いてます~」って由紀さおりの歌もなんだか分からない。 
「千早ぶる~」みたいな百人一首のニュアンスも漂うではないか。 
とにもかくにもあの夜、ひとり駅へと向かう僕は身も心も歌人蝉丸であったに違いない。 
坊主めくりの坊主たちの中でも際立って嫌われる蝉丸。 
まず、清潔感皆無に描かれたルックスがいけない。名前もキツイ。蝉丸。

でも僕は好きだ。歌もいい。 
是れやこの 行くもかへるも 別れては 知るもしらぬも 逢坂の関 
しかしまあ、よく考えるとキョーレツなカードゲームですなあ。坊主めくり。 
え~っと、なんの話でしたっけ? 

 

広辞苑はこう僕に説明してくれた。 
「買い被る 実質以上に高く評価すること」 
彼女はきっと「私はあなたが思っているような上等な女じゃないのよ」と言いたかったのだろう。 
「違~う!僕はそんな風な勘違いはしていな~い!」と叫んだが後の祭り。 
ケータイも電子メールもない時代である。結局僕の想いは届かず、僕たちは二度と逢うことはなかった。 
まあ、今にして思えば僕を傷つけまいとする態のいい逃げ口上だったのかも知れないが、人を好きになるということは、思いっきり相手をカイカブルことじゃないのか?と思う。 
世間に、周りに、当の相手にさえなんと言われようと、自分だけは断固その人を崇高に思い、慕い続けることじゃないのか?と。 

 

時は流れ、西暦2005年の年頭。折りしも愛知万博が開幕真際である。カンケーないけど。 
僕と金森幸介はあいも変わらず銭湯の湯船に浸かっていた。 
場所は奈良県香芝町。天然の地形を利用した露天風呂がなんともいえずファンタスティック!である。 
我々はええ塩梅の路上の人となり、そのまま国道を更に深い奈良方面へと走った。 
ええ塩梅はいいのだが、湯あたり直前の我々は気が大きくなり過ぎて、またまたトンマをやらかした。 
「久しぶりにあそこ、行っちゃう?」「あそこって?」「あそこやがな。暗黒物件!」 
「ええな、久しぶりんこに行っちゃおう~っと!」 
EPISODE21~23でご紹介したヤコペッティの暗黒大陸、いや怪しい古本&CD屋に我々は性懲りもなく 
向かってしまったのである。 

 

国道をひた走った突き当たりに黒魔術の呪縛にかかったような塊が今も変わらず鎮座していた。 
時刻は深夜2時。しかし終夜営業であるはずの2階中華料理店の灯りが消えている。 

すわ、廃業?と思ったが、1階の中古CD屋と地下の古本屋とゲームセンターは営業中のようだ。 
温泉のホッコリも抜けかけた我々は入店をしばし躊躇した。実際に訪れてみるとやっぱし怖い。 
でもここで退くのは末代までの恥である。なんのこっちゃ。 
中古CD店の扉は相変わらず手動の自動ドアである。これまたなんのこっちゃ。 
店内に漂うインセンスの香りも”いいセンス”とは言いがたい。返す返すもなんのこっちゃである。 
しかしここで金森幸介は極上の音源を発掘するのである。 
COLE PORTERのソングブックである。シャーリー・ホーンやサラ・ボーン、サッチモなどがCOLEの楽曲を歌っているのだ。そこはかとない敬意が感じられる名盤である。しかも税込み600円。 
でも僕はあまり目ぼしい音源を発見できず、意気消沈気味。 
しかたなくLINDA RONSTADTの"WINTER LIGHT"というCD500円也を購入することにした。 
しかたなくという表現は適切ではない。適切ではないけれど的を外してもいない。 
ジミー・ウェッブやバカラック、ブライアン・ウィルソンなどの曲を歌っているようだ。 
アルバムタイトルもいい加減ならジャケットもなにやらやっつけ仕事である。 
雨つぶに濡れた窓ガラスの向こうにほとんど白塗りでスケキヨ状態のリンダ。 
1993年の盤だが、当時もはやけっこうな年齢であったはずだ。容姿を前面に押し出すのは もう無理があったのだろう。 

 

ある時期からの世間のLINDA RONSTADTへの評価はけっこうキビシイ。 
「歌がヘタッピだ」 「ソングライティングの才能がない」 「節操がない」 「尻軽だ」

まあ、放っといたれよの意見も含めてあまり芳しいとは言えない。 
でもHASTEN DOWN THE WINDのジャケットの胸ポッチンでメロメロにされた我々としては 
リンダ・ロンシュタットは初恋の人のような存在なのだ。 
そう、盗作しようがなにをしようが、僕はやっぱりなっちが好きなのだ。って節操がないのはお前や! 

 

車に乗り込み、買ったばかりのリンダのCDを再生機に入れた。 

瞬間、我々はまたもやメロメロになった。曲がどう、歌がアレンジがどうとかいう次元ではない。 
その声、その息遣いだけで我々は虜にされてしまうのだ。 
世間的には、名盤などと呼ばれるにはきっとほど遠い。どちらかといえば駄作の部類かも知れない。 
そう、僕や金森幸介はリンダ・ロンシュタットを思いっきりカイカブっているのだ。 
彼女がどんな風になってしまったとしても僕たちはきっと永遠に好きなのだ。 
瞬時におセンチくんになってしまう。甘酸っぱいものが込み上げる。 
誰かをカイカブルということは気持ちがいい。ややこしさが微塵もないシンプルさがいい。 
僕をフった初恋の彼女が今、目の前に現れたとして、彼女がどんなオバハンになっていても きっと僕は彼女をやっぱり好きなんだろうと思う。まあ現実はややこしいんだろうけど。 

 

しかし、このカイカブルはどうも異性限定のような気もするのである。 
同じようにジャクソン・ブラウンの音源を聴いたとして、一曲目はきっとあの声に切なくなる。 
でも二曲目には、「ジャクソン、文化人気取りかい!しっかりせえよ!」なんて思ってしまうのである。 
いや正確には「そないにしっかりすんなよ!」ってことかも知れない。 
結局、女性に甘く男性には手キビシーってことなんだろうけど、頑張れジャクソン!いやもとい、あんまり頑張るなジャクソン!って、ややこしなあ。